傑作の条件

 この間、NHKで「聲の形」がやっていたのをちらっと観た。それで、そういえば原作は観たのに、映画(アニメ)は観てないなーと何となく思っていた。最近、生活リズムが本当に終わっていて、その影響で今日は逆に早く起きて、やることもないから、「聲の形」を観ることにした。

 こんなに素晴らしい作品だったのか、と息をのんだ。確かに、原作ありであるがゆえに、少しだけ構成にストレスがかかっている気もするが、それを帳消しにするぐらい、素晴らしい演出と脚本で、素晴らしい出来の作品になっていた。何度も作品の完成度に涙した。合わせて、何故か気分が乗ってきて、「映画大好きポンポさん」の1と2も読んだから、もう、作品、物語の素晴らしさというものを胸を打たれて、しばらく、茫然とするぐらい、素晴らしい朝だった。

 

 なのに、午後に暇になったからという理由で「AKIRA」を観てしまった。マジでなんなんだ、このクソ作品は。「聲の形」の足元にも及ばないというのに、傑作面してて観てて腹が立ってきた。もちろん、作画はすごい。作画はすごいが、映画というかアニメは作画で決まるわけではないのである。むしろ、作画はその演出意図を再現するために、その精緻を極めるべきなのであって、作画そのものが素晴らしいというのは、ただのハリボテであって、意味をなさない。この作品は、まさにこれなのだ。SFとしても肩抜かし。部族(仲間、家族)の話としても小粒。誇れるのは古い作画だけ。全然意味のない作品だった。観て損をした。

 

 いや、本当にね、その時代だからとか、その作画とかの一部技術とかがすごいとか、そういうのは、別枠として言い伝えた方がいいよ。傑作とかじゃなくて、重要文化財って感じで言い伝えてくれ。そして、「聲の形」みたいな本当の傑作だけを傑作と呼んでくれ。そうでないと、作品が可哀そうだ。本当にくだらない。こんなハリボテの作品を好きな人を見てみたいよ。実在しないでしょ、そんなセンスのない人。