デッキ構築に関する考え

 デッキ構築のゲーム、つまり「ドミニオン」みたいなゲームなのだけれど、個人的には選択の余地があまりない、プレイ感が薄弱だと以前から感じていた。その理由を考えてみる。

 デッキから手札を一定枚数引くというのは、言ってみればランダマイザを使用しているようなものだ。つまり、ダイスを振っている。そして、デッキ構築というのは、そのダイス目を強くしてみたり、特殊効果をつけてみたりということをしている。要は、ダイス構築のようなゲームとして置き換えることができる。そう考えてみるとよくわかるのだが、僕が選択権がないと感じるのは、そのダイス目によってできることが選択させられているような気がするということだ。例えば、5金出たのなら、多くの場合は5金の行動をした方が強い。わざわざ3金の行動をするのであれば、それ相当の理由が必要だ。つまり、手札から、あるいは他者の推測される戦術から、取るべき手段は限定されていて、そこに自分の意思を介在する余地がないと感じる。例えば、「ブルゴーニュの城」といったダイスゲームでは、ダイス目が明らかになった後でも、それをどういう順番でどう処理するのかということを考える余地がかなりある。いろいろと戦術が取れる。しかし、多くのデッキ構築のゲームではそうなっていないと思う。アクションに選択の余地がないのだ。

 そうなっている理由はいくつか挙げることができると考えている。

 一つは、リソースの種類を増やすことだ。例えば、金というリソースしかないのであれば、その出力が一番強くなるのが一番強いに決まっている。なら、内政力と外交力というリソースを用意した場合は? その場合、どちらに特化するのか、あるいは、バランス良くするのか、どういう出の時、どういうアクションをするのかに、もう少し選択肢が生まれると思われる。この解決法は「クランク!」などのゲームで一部取り入れられている。

 もう一つは、デッキ構築のゲームの主軸とするのではなく、構成要素とする方法だ。ダイスを用いたゲームは、ダイスを主軸にしたゲームよりも圧倒的に多い。そういうことだ。これは、「グレイト・ウエスタン・トレイル」などで用いられている方法で、現在いろいろと試みられているものだ。

 他にもいくつか思いつくけれど、まとめ切れていないので、この辺で。一番は、デッキ構築という部分にフォーカスするのではなく、それをダイスのようなランダマイザとして認識するというデザイナーの意識が一番重要である気がする。