学生の夢

 この間、大学に通っている夢を見た。その時、自分はすでにこんな歳なのに、大学に通っているなんて、と夢の中でも思った。しかし、大学はまだ年齢的に多様な学府だからまだいい。問題は今日、高校だか中学だかに通っている夢を見た、ということだ。しかも、それはさして珍しい夢ではない。むしろ、良くみる方の夢だ。

 僕にとって、この事実は結構不思議だ。というのも、僕は小学生よりは中学生、中学生よりは高校生、高校生よりは大学生の時の方が好きで、楽しかった記憶があるし、社会人になっても、労働が嫌だという一点でのみ、学生だった頃を恋しく思うのだが、それ以外に不満に思っている点はないのだ。別に学生に戻りたいわけではない。なのに、夢では僕はほぼ例外なく学生なのだ。

 夢は記憶を整理する際に発生する副産物という主力な仮説を僕は支持しているし、実経験や各種の研究をみてもほぼ間違いない事実だと思うのだが、だとしたら、どうして僕は学生である夢を見るのか。

 一つは、学生である時の記憶が多いのだろう。社会人になってからというものの、会社にいる時の記憶というのはほとんど最小限に抑えられている。というのも、変わり映えのしない日々で、何の興味もないものを、早く終わらないかとやっているだけなので、毎日が本当に記憶に残らない。業務に支障をきたすレベルで記憶が曖昧だ。だから、記憶を整理した際、それらが発露される可能性が極端に低いのだろう。

 もう一つは、オタクをターゲットにした作品では、学校が舞台になる作品が多いからというものだ。触れている作品で、学園が出てくるから、その記憶が想起されるという仮説だ。しかし、こちら側には結構疑義があり、というのも、そもそも僕が最近触れた作品で学生が主人公であるものは、それほど多い割合ではないし、僕の夢に出てくるようなシーンがあったわけでもなく、関連性が低いように思われる。

 一番はきっと、僕がまだ、学生のような気分を引きずっているせいなのだろうな、という直感はある。どうも、シリアスでなく、危機感が足りない。それがモラトリアム期の気分に近いのだろう。いくら学生時代の期間が長いとはいえ、その半分ぐらいは学生でない時を過ごしてきたはずなのに。どんなに歳をとっても、この社会が、この生活が、どこか茶番じみた真剣みのないお遊びのようなものだという感覚が抜けきらない。