学生気分、夢見心地

 未だに夢の中では、僕は学生だ。高校生であることは少なくなったが、そうでなくとも大学生であることがほとんどだ。社会人であった夢が、一生のうちに2回しかない。もう大学生でいた時間よりも長くなっているというのに。おかげで、会社の人も夢に出てこない。本当に上記の2回だけだ。きっと、その人たちの顔すらちゃんと覚えていないのだろうと思う。平日は毎回、顔を合わせていても。意識がそこに向かっていない。

 まだ学生気分なのかと怒られてしまうのだろうな。こんな歳になっても、遅刻しそうだとか、テストがあるだとか、同級生がとか、そんなことを夢見ているのだから。そうも言ってられなくなる歳だ。けれども、どうしても自己認識が学生時代から進展しない。そんなマインドのまま、生きている。責任感がなく、自分のことで精一杯で、社会から隔絶され、社会奉仕ができていないのだろう。それこそ、学生の特徴というもので。

 あるいは、そんな気持ちをなくさないように意識しているのかもしれない。自己を殺さずに生きていける、わずかな期間を思い出し、学生のように無自覚な自由を自覚しなおす。そうすることによって、生きているのかもしれない。

 いつも、社会を見回すたび、馬鹿らしいな、と思う。これだけ経験してきたのに、新たに馬鹿らしいものを発見してしまうほど、馬鹿らしいものに満ちている。でも、一番馬鹿らしいのは、それに加担している自分自身で。その輪から抜け出すことができれば、僕は僕自身を下らないと思わなくなくなるのだろうか。答えはわからない。やってみなければ、わからない。それでも、その致命的な一歩を踏み出せないのは、どこから来る恐怖心なのか。