名作は名作たり得るがゆえに名作なのだ

 あまり作品の発掘は行わない。積極的にいろんな作品に触れていったり、知名度が低い作品を探っていったり、ということはせず、評判が良い新作や、名作・傑作と名高い作品に触れていくことが多い。

 

 その理由の一つは、自力のある作品ならば、ほとんど人気が出ると思っているからだ。もちろん、好みや運の問題があるため、一概には言えないと思うが、現代社会においては、素晴らしい作品は、必ずと言っていいほど評判になると僕は思っている。たとえば、「カメラを止めるな!」という映画は、このSNS時代でなければ、ここまでヒットすることはなかっただろう。「十三機兵防衛圏」も品薄にまでならなかったと思われる。世界規模の口コミによるネットワークは、かなりの精度で作品を発掘し、拡散させるのだ。分散型の傑作発見デバイスともいえる。僕は大衆の評価こそ、作品の面白さと直結すると考えているので、素直にそれに従っている。

 もう一つはキリがないと考えているからだ。たとえば、漫画という一つの媒体を対象にしてでさえ、日本だけでも膨大な量の新作が発表されている。ましてや世界では。一人の人間の可読言語で書かれている割合は多くないだろうし、文化背景まで理解しなければわからない作品も多い。そもそも、この世界で生まれている情報量と一人が処理できる情報量にはとてつもない差があることだろう。それに、無理やり追いつこうとして、自分の限りある時間を浪費したいとは思えないのだ。

 最後に、僕の認識にかかわる思想によるもの。これは別に後述したいと思う。

 

 創作という名の広大な海の上澄みだけをすくっているという感覚がある。それをもったいないとか、卑怯だとか思う人もいるだろうが。でも、僕は飽きっぽいし、いろいろな媒体に触れていきたいんだ。なにか、媒体を問わず、共通した何か、究極的な何か、原理的な何かを知りたいという欲求があるから。