想像以上のものに触れたい

 作品をわざわざ消化する以上は、想像以上のものに触れたいと思っている。

 ルールを読んで、まあこれぐらいの面白さかなと想像して、ボードゲームをやる。あらすじをみて、まあこんな感じの筋立てかなと想像して小説を読む。予告を観て、まあこんな流れのプロットかなと想像して映画を観る。ハードルと言ってもいいかもしれない。そんなに数をこなしていない僕でさえ、その予測はある程度は当たっていて。多少の誤差さえあれど、その範囲を大きく逸脱することはなかなかない。

 愛せる作品ならば予想の範囲内でもよい。素晴らしい経験だったと思える。問題はそうではない大多数の作品であって。せめて、その想像を超えて欲しいと常に思っている。ガワから予測できる範囲では、物足りない。最近のゲームでは、「十三機兵防衛圏」はそれを大いに突き抜けていったけれど、他にはなかなかない。映画では「1917」が一線を越えたぐらいだ。ボードゲームなんかは、かなりその範囲内だし、むしろ下回ることも多々ある。小説でも、前評判ばかり聞いて上がったハードルに追いつけないことが多い。

 それは悲しいことだ。

 やはり、もうひとひねりこそが、必要なことだと最近は良く思う。そして、作り手の愛が最終的には必要になる。不必要なまでに、その作品を考え抜き、ブラッシュアップする愛が必要なのだ。それは偏執的なものであればあるほどいい。そういう作品が、この膨大な情報の海に浮かぶための浮力になるのだという気がしてきている。こういう、精神論みたいなことは言いたくないのだが。でも、不自然なまでの偏愛は、きっと、凡百の作品がたどり着けない境地にたどり着けるはずだから。その完成度によって。

 僕は自分の想像力を、想定力を超えるものに触れていたい。