殺伐としていて、周りが敵だらけなのは結構好き

 厳しいことを言っていたり、言われていたり、雰囲気が殺伐としていると、なんかつらいみたいな意見をネットですらよく見るのだけれど、なんか感受性高い人がいっぱいいるなぁと思ってしまう。

 僕は現代のネット、未来で夢見たネットのようになっていると思うし、社会の変革が遅い部分はあれど、別に殺伐としているようにも思えない。この程度のいざこざは、このネットの特性上、つまり、匿名性があり、アクセスが簡易にできるというシステムなら絶対に発生するものとしか思えないし、それがあったからと言って人間に希望も絶望も抱かない。システムがそうなっていれば、個人の意思なんかは無意味で、なるようになってしまうのが動物というものだ。生命というものだ。たとえ、相手を殺す死ねと言っていても、○○警察やネットリンチが蔓延っていても、別にどうでもよくないか? 嫌なら、ミュートなりブロックなりすればいいだけだし。それを上回れば警察の出番というだけだ。ネット上の話だけでもなくて、この頃、ウイルスによって、暗くなっているのが耐えられないとか、正直、まったく感覚が理解できない。

 むしろ、テーマパークに来たみたいだぜ、テンション上がるなぁ~という方が近いし、暗いニュースが続くと奇蹟のカーニバル開幕だという気持ちになる。安心するとか、くだらないことで笑っているような世界でいたいとか、そういう気持ちを優先する思考がよく理解できないんだよ。

 安定を求める思考というのは、最終的にたどり着くのは死だと思うし、全てを遮断する行為になり、思考を放棄するということになるだろう。論理的にもそう思えるので、死が嫌いな僕は到底賛同できないし、直感的にも全くピンとこない。殺伐としていて、抜き差しならぬ状況が続くような社会、面白くないか? いや、死にたくはないんだけれど、死にさえしないのならば、いくらでも戦えばよくないか? それはただのゲームで、暇つぶしには最適だと思うのだが。敵対している人がいると、日常が面白くなるものだし。

 なんかこの辺の感じは、無職族の人と意見が合わなそうだなぁ。僕は別にゆったりした時間を過ごしたいのではないんですよ。そうではなくて、仕事をしたり、日常を生きたり、といったことがあまりにも退屈だから、同じことの繰り返しだから、いろんなゲームをやったり、本を読んだりといった、安全なのに刺激があることを延々とやっていたくて、無職になりたいんですよね。田舎のネズミになって、VRで都会のネズミとして危機感を感じたいというか。田舎のネズミとは言え、色々とやることはあるだろうから、それが面白そうというか。都会のネズミだって、割のいい餌場を見つけてしまうとそこから獲物をかすめるだけで面白さが得られなくなってしまうというか。端的に言って、とても我儘なだけでは?