「クイーンズ・ギャンビット」の4話までの感想

 「クイーンズ・ギャンビット」を4話まで観たのだけれど、今のところ、常にイライラしている。出来が良い、というのはわかる。わかるが、好みという枠を超えて、この作品にはイライラさせられる。評価が高い、というのは少しわからない。今のところ。

 なんというか、無駄ばかりなのだ。ちょっとした描写で、サスペンスが生まれそう、ドラマが生まれそう、という期待感を演出する。演出するのに、何も起こらない。ちょっと長回しで、音楽をかけて、それっぽい映像が流れる。それっぽいだけで、何も起こらない。この作品は、視聴者のことを馬鹿にしているんじゃないか? そんな風に思えてしまう。

 何もないんだよ、中身が。マジで何もない。

 そもそもね、チェスという男の世界で、女の天才が活躍するという話だとするなら、本当の父親が数学の教授だ、みたいな無駄な設定はいらないわけ。それは、結局、男が数学的思考に優れている、という思い込みを利用した背景設定なわけでしょう。それではジェンダーに対する作品にならないじゃないか。それなら、母親が、数学的な素養があったのに、時代的な背景から学問の道に進めなかった、とすべきでしょう。そういう、ちょっとしたところから、前時代的な(まあ、本当に前時代の話なので、それは狙っている気もするが)思考がちょこちょこ出てきてうざく、ノイズになっている。

 天才が薬や酒に依存するような形になっているのも、前時代的でテンプレな設定だ。別に、テンプレにすることに怒っているのではないよ。ただ、テンプレにするなら、テンプレにしたことを利用しろと言っているんだ。テンプレだから、無駄に思考を割く必要がなくて、観やすいとか、テンプレだと思っていたが実は裏があるミスリードだったとか、そういう風にすべきで、何も考えずにそのテンプレを主軸に持ってきました、という風にすべきではないんだよ。

 別にね、僕も「ゆるキャン△」とか観たりもするし、それを毎週楽しんだりもする。それはね、そういう作品だと言うことを知っていて、そういう路線における高品質なものを観に行って、まさにそれが出てくるから満足するわけ。

 なのに、サスペンス、スリラー、ドラマを期待してそういうガワのドラマを観たら、そうなりそうな余計な演出だけを延々とみせられて、その結果として、朝ドラみたいな薄いものを見せられても、中身がねえとしか思わないわけよ。

 端的に言ってしまえば、期待感の醸成と、それに応えるのが下手なんだ。

 「ワンダヴィジョン」でも思ったのだけれど、そういうの、今のアメリカは下手くそなのか? なんか、フックだけを無駄に用意して、そこから想像を膨らませるような考えすぎオタクのためにドラマを用意してんのか? 観客を馬鹿にしてんだろ。ペペロンチーノを注文したんだから、にんにくやオリーブオイルをちらつかせた後にナポリタンを出すんじゃねえよ。美味しいペペロンチーノを素直に用意しろ。まあ、そんな感想です。