「ゴジラS.P」3話までの感想
まあ、途中で評価するほど愚かなことはないのだけれど、今のところの感想も大事だと思ったので、一応、残しておく。率直に言えば、何をしたいのかわからない。色々とぶれているから、どこにフォーカスしていいのかわからず、面白くない。脚本が下手だなーと思う。
まず、キャラクターたちが中途半端だ。
群集劇とか、ドキュメンタリータッチの作品ならこれぐらいでいいと思うが、ヒーロー的な動きをする割には、動機が見えないし、何がしたいのかわからない。
まあ、それは後々わかっていくとは思うが、後々では遅いとも思う。別に謎めいたキャラクターというわけでもないしね。キャラクターの欲求がないんです。欲求があるから、方向性があり、障害がある。その障害へぶつかることや、それを克服することがドラマなので、欲求がない、悩みがない、というのはドラマがないということだ。面白くない。
どうして、おやっさんみたいなキャラクターに動機を分割譲渡してしまうのだろう。別に、主人公がそう思っているとかでもいいじゃん。そうじゃなくても、血縁関係やそれに準ずる立ち場にして、おやっさんの思想に対して、どう思う、という属性を追加すればいい。そうすれば、対比が取れる。怪獣なんて馬鹿らしいと思っていたけれど、それが実際にいた、という心の動きをつくってもいいし、怪獣はいるのに親が馬鹿にされているのは悔しいと思っていたから実際にいて嬉しいと思った自分を隠しきれない、でも良い。いくらでも面白い動きは考えられるだろう。どうして、それを破棄しているのだろうか。女性の方の主人公に関しても、同じことがいえる。淡白すぎて、こういう作品にマッチしているとは思わない。
次に、様々なジャンルの要素が入ってきて、それぞれのリアリティレベルが異なるせいでアンマッチを起こしている。怪獣ホラーをやりたいのか、異世界生物・物理学をやりたいのか、ロボットバトルをやりたいのか、それが混在しているのが良くない。
ジェットジャガーや「RIDEBACK」みたいなボストン・ダイナミクスみたいなロボットがいるリアリティレベルで、ラドンに襲われるとかやられても、微塵も緊張感が湧かない。
鏑矢で怪獣の鳴き声をコピーする1シーンを切り取っても、リアリティレベルがちぐはぐだ。鏑矢の音をシミュレーションするのは合っている(流体方程式は解けないのでシミュレーションするしかない)が、計算時間は膨大でオフラインなのに携帯端末で即時計算できるとは思わないし、それに合わせた精度で咄嗟にペットボトルを加工するのは難しい(小学生でも工作の時間で身に染みているだろう)し、弓道部員がちょうどいるのも不自然だ(適当にその場にあるもので弓をつくる方が、リアリティレベルが低いとでもいうのか? 本気?)。その後でロボットと偶然鉢合わせるのもそう。
もし、こういうこと(多面的な要素を一つの作品に押し込める)をやりたかったら、それこそ、「シン・ゴジラ」がお手本になる。あれは、前半に怪獣パニックを現実でシミュレーションする、という要素を持ってきて、後半に怪獣対策のあれこれ、ということをやっている。あれは、明確にフェイズが移行しているから、不自然さが緩和されているのだ。これが、前半後半が切り貼りされて、同じ時間に同時並行で動いていたら不自然だろう。片方で簡単に人が死ぬのに、片方では夢想に近いことをやっている。そういうことに近いことをこの作品ではやってしまっている。
脚本家が本当にやりたかったことを想像するなら、怪獣ホラー→異世界生物・物理学→近未来工学→ロボットバトルというようにフェイズを区切れば良かった。主人公を変えていけば、群集劇的にもできる。この作品は失敗している。
他にもいろいろあるけれど、端的に言うとちぐはぐだな、と感じる。作画や演出のレベルは高いと思う。本当に脚本家のレベルが低い。あるいは、アニメに向いていない。どうして、そういう人を脚本家として採用してしまうのだろうね。理解に苦しむ。まあ、伏線が回収されて、手のひらをひっくり返す(それを望んでいる)ことがあるかもしれないが、3話まで観て、面白いとは到底言えない。これがIPとしてゴジラを使っていなかったら、話題にならないレベルの脚本でしょう。