それである必要性

 気になってしまうことがある。代替性に関してだ。

 誰かが、何かに熱中しているとする。現実でも、作中でも。そうなると、どうして、それでなくてはいけないんだ、といつも思ってしまう。他のものでも代替できるのではないか? そうなると、それである必然性がなくなってしまう。

 たとえば、小説を書くことで、皆に元気を出してもらいたい、と誰かが言っていたとする。それ、小説を書くことである必要はあるのだろうか、と思う。たとえば、トイレ掃除でもいいのではないか? もし、小説である必要があるなら、小説でなくてはいけない理由が知りたいと思う。ノベルゲームではダメで、脚本でもダメで、詩集でもダメな理由が。

 過剰ではあると思う。しかし、どうにも、昔から、それ、別のものでもいいよね、と思う気持ちが消えない。全てに関して、そう思ってしまう。だからこそ、僕は創作物の完全性にこだわっている気がする。何か、別のものに差し替えてしまったら、途端に全てが崩壊して、矛盾してしまうような。そんな強固さを求めている。

 現実においては、実際、代替性のないものなんてほとんどない。自分にとっての自分自身とか、そういう、本当に限られたものだけだ。だからこそ、それでなければいけないというのは、狂信じみた思い込みだと思うのだけれど、そういうものがある人の作品というのは、やはり面白い。だから、僕はそれを問い続けてしまう。

 それ、本当に、それである必要がありますか?