「新世界より」の感想

 簡単に。小説も読んだのだが、上巻の途中で挫折したため、アニメ版の感想となる。もしかしたら、小説版では違ったり、フォローされているのもあるかもしれない。

 かなり前の作品とは言え、「猿の惑星」クラスのネタバレを含むので注意。

 

 まず、物語構造についての問題。最終的にラスボス(たとえ、人でなかったとしても、物語上の最終的な障害を僕はこう呼んでいる)を倒すために、マクガフィンを手に入れるという話になる。こういう構造は多い。問題としては、その結果として、マクガフィンは主人公の意思によって、焼却され、別解を探すことになり、それがまあ、伏線的なものを利用したという展開である。ここの展開にはかなりの問題があって、それを簡単にまとめようと思う。

 第一に、マクガフィンを獲得するための展開に非常にコストをかけていること。マクガフィンが物語の展開で意味がなるというのに、その獲得過程に作品としてのコストをかけすぎている。それは作品内で言えば、犠牲者が出過ぎているということだし、作品外で言えば、無駄な設定や展開、それによる視聴者と読者の時間の奪取である。結果として、これらのコストは本当に無駄になっている。

 第二に、呪力という万能の能力の制限が明確化されていないこと。マクガフィンを焼却する時に、それが使用されていると主人公の仲間が犠牲になってしまうことから、主人公はそれを焼いてしまうのだが、呪力があるのならば、それをラスボスにだけ使用することはできなかったのか? という話になってしまう。これは、「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」がどうひっくり返っても駄作にしかならない理由と同じで、万能な力を登場させ、それでは解決できないという障害を用意するのなら、どうして、ある問題は解決できたのに、今回の問題は解決できないのか、という理屈を用意する必要がある。そうでなければ、単純にそれは作品を盛り上げるために作家が用意した区切りということになってしまい、作品内の理屈ではなくなってしまう。これでは冷める。

 第三に、伏線の展開という部分。まず、これは破綻していて、奇狼丸の部隊はラスボスに破滅させられたはずであり、ここで伏線の効果が本来ならば発揮されるはずである。そうでないのに、ここで発揮されるのはおかしい。また、この伏線というのが、マクガフィンを探す旅と関連していないのが最大の問題点である。つまり、このラストの土地へと向かう必要は全くないことになり、自分で自分の物語の展開を否定している。その無力感を主軸にした作品ではないので、後半の旅は丸々意味をなさない。

 という感じで、後半の展開は破滅的である。マクガフィンがなかった、壊してしまった、手に入らなかった、という展開をして、その後で伏線を使用する展開は一般的である。なぜならば、感情の起伏を作ることができるからである。ブレイク・スナイダー的に言えば、死の予感という奴。でも、その後の解決策が、物語を通しての結論、つまりジンテーゼ的なものである必要がある。そうでなければ、物語の意味がなくなってしまうからだ。この作品は、物語の根幹的な設定を使用しており、それを導き出すための過程にも、物語の展開によって得たものは使用されていない。これでは、つまらない。とっとと思いついていれば、終盤の展開が丸々飛ばせるじゃないか、となってしまう。

 さらに、中盤の展開として、仲間が業魔化するというものがあるが、これも全てクライマックスとの関連性がなく、意味がない。ただの僕の考えた設定お披露目会になっている。悪鬼に関しては、クライマックスで意味を持つから良いとしても、業魔という設定自体が意味をなさないものなのだ。

 つまり、この作品にとって、余分なものが多すぎる状態であり、本当に意味のあるものをかき集めたら、1クールにも満たない情報量となる。それをかさましして2クールにしているのだから、面白さは推して知るべし。

 

 また、テーマ設定や世界観設定にも大きな問題がある。

 バケネズミが非能力者の人間のなれの果てである、という設定は、ただの驚かせ要素(と僕は呼んでいる)にしかなっておらず、テーマや価値観の深堀という意味では、むしろ足かせになってしまっているのだ。

 希死機能(漢字が違うけど変換で出てこず面倒なのでこれで)や、人間、バケネズミという設定から考えられるテーマとしては、人間とは何なのか、というものが考えられる。つまり、人間という種族だから、権利が与えられているのか、人間の社会に組しているから、利益を与えているから、知性があるから、外見が同じだから、といった形質的な部分に着目して権利が与えられているのか、というものだ。(まあ、これを本当にテーマに持ってきたかったら、物語構造や設定が変わるはずなのだが)

 しかし、バケネズミが人間のなれの果てとするのならば、それはローマ時代や黒人などを対象とした奴隷制に関する疑義と同じようなものに、結局はなってしまう。同じ人間を外見や能力の有無によって、差別していいのか? という問いである。そして、それはもう現代社会としての結論は出ているのだ。これでは、前時代的であり、この作品のような設定を用意する意味がなくなってしまう。

 だから、そんな一過性の驚かせ要素を入れるぐらいなら、バケネズミは本当の別種族とした方が、物語としての深みは増すのだ。人間に限りなく近い別種族が対象にあるからこそ、人間とは何か、という問いが明確になる。本当の驚かせ要素は、それを取り入れることによって、テーマが深堀され、新たな視点を得ることができるものなのだ。「人類は衰退しました」を見習え。

 

 最後に、簡単だが、生物学的な間違いがあまりにも多いことを指摘しておこう。

 生物が進化し、発展するためには、その周辺の生態系に適応することが必要になる。あんな、小学生が考えた図鑑のような生物は生まれないのだ。繁殖と生存、適応という基本があり、そこに生物がある。そもそも、バケネズミは生物を武器として使うというような設定自体が意味不明であり、そんな研究設備や飼育管理技術、または遺伝子操作技術はどこから来たんだ? という話になる。真社会性に関する誤謬も甚だしい。これもしっかりと学んでいれば、前述したような人間との対比によって、一石を投じることができただろうに。

 

 結論として、全体的に拙い。高校生ぐらいが書いてきました、というのならばまだしも、プロの作家ならもっとちゃんと取材して考えて書いて欲しい。