映画に何を求めるか

 最近、(特に映像)作品に求めていることが、自己認識と差異があることに気付き始めた。というのも、元々は、シナリオを重視して観ていると思っていたんですよね。しかし、どうにもそうではないらしい。本当にシナリオを重視している人には、色々と文句がある作品であっても、僕はその脚本が悪いものではない、と感じることが多くなってきた。

 で、思ったのだけれど、結局、僕が見ているのは、シナリオの筋や伏線、凝った構成という部分よりも、もっと大枠の部分というか、コンセプトやテーマがちゃんと設定されていて、それを体現するように細部が構成されていて、エンターテインメントとして成立しているのか、という部分だと思った。

 まず、一番大事なのは、そのテーゼ構成のような、テーマの部分で、これがないと凝ったシナリオ構成であっても、そのシナリオ構成のための作品である、というように感じてしまうのだと思う。推理小説のようなジャンルでは、それ自体が目的のようなところがあるから、違和感が少ないのだが、映像作品のようなものになると、わざわざ映像化する意義を感じないのだろう。

 次に、細部がそれに則しているか、だ。劇伴や演出、モチーフの大事さ、というのは、色々と作品を観るようになってから、強く感じるようになっている。わざわざ、映像作品を選ぶからには、それなりの理由が必要だし、作品全体の目的に沿って、それらが上手く構成されている必要性がある、と考えるようになったという感じだろうか。これらは複合的で、それぞれが影響を受け合うので、何かだけが突出していても違和感として現れることが多い。

 最後に、エンターテインメントとして成立しているか。僕にとっては、これもかなりの比重を占めている。簡単に言えば、初見でも、何の感情を持っていなくても、子供でも楽しめるのか、という感覚に近いだろう。その作品に興味を持ち、知識もあり、十分に考慮してもらえれば面白いのならば、それはどんな作品でもできることだ。そうではなく、興味がなくとも、前提知識がなくとも、最低限は楽しめるようになっていて欲しい、というか、それが最低条件だと感じる。特撮作品で、ヒーローが怪獣を倒しているだけでも、子供は楽しい、といったものでいい。良く出来た作品は、細かい設定や凝った時系列を追わなくとも、エモーショナルなシーンで、しっかりと感動できるようになっている。基盤に、人間の根幹に対する共感がある。そういうものが大事であると思っているらしい。

 こういう視点で、最近、自分の好きな映画に関して、振り返り直したりしてます。