オタクの毛づくろい

 ちょっとした時に、いわゆる色んな語録やミーム、表現などの流用をしてしまうことが多い。あるあるネタ死亡フラグを立てる、みたいな。わかるかな?)を使って、意思の表現をしたり。その時に思ったのだけれど、どうにも表現が緩くなるのだよね。柔らかくなるというか、角が立たなくなる。

 妻が食事を作るのが遅くなってしまった、というまあ、うちではよくあることなんだけれど、それなりに本人も申し訳なさそうにしている。そんな時、何を流用したのか忘れてしまったのだけれど、ミームを用いて、それをなじった。ただ、それはあまり叱責している感じが薄くなったし、字面だけをみたそれよりも威力が明らかに弱かった。言われた方も、一応、形としては文句を言われているという体面がある分、罪悪感が少し薄くなったようだった。これはいいな、と思った。

 思うに、オタクがそういった流用(引用?)を好むのは、こういう側面があるのではないだろうか。あくまで、そのごっこ遊びであるというか、そういう設定のキャラ、場面のセリフだから仕方がないと、責任を別のところに負わせるような。

 まあ、互いに通用する暗号を用いることで、親密度を上げるということもあるとは思うが。なに効果と言ったっけ? なんとか効果、多すぎ問題で、僕の脳内で名称と内容が一致しているものが少なすぎる。

 でも、結構、お互いが分かっているはずの元ネタを検索するのって、結構大変じゃない? 僕は大学生の時分に、それを鍛えられた覚えがあるよ。相手の文脈や好みから、参照できる作品群を検索するというか。カラオケで相手も知っているであろう曲を探す、というような。クイズみたいで結構楽しいんだよね。ほら、そうやって、また、気を抜くと人をおもちゃのように扱ってる。これは良くないね。

 ただ、そういう労力を支払ってまで、流用をするということは、それに匹敵する価値があると考えるのが自然だ。責任を負わなくていい、コミュニケーションが円滑になるというのは、陰キャにとって重要なことだから、重宝されているんじゃないかな、と思う。