自分自身が電気信号であることに関して

 何も言うことがないよと思う時もあるのだが、色々と話すことがあるなぁと思うこともある。どうやら、単純に自身の気分というか調子によるようだ。調子が良いと、思考が固まりやすく、文章として出力しやすい。脳内が整頓されているから、しっかりと検索できる。何か、言いたいことはないかなぁ。そう考えると、ちゃんとヒットするのだ。一方で、体調が悪い時は思考がまとまらず、もやもやとしたままだから、どうにもならない。検索をかけても、ぼやぼやとした煙のようなものが引っかかるだけで、結果として、ひねり出すような話題、つまり、いつもの奴になってしまう。

 そういう意味で、同じことを繰り返していると、バロメータとして使用することができる。この時、結構つらかったんだろうな、みたいな。まあ、だからと言って、出来ることがあるわけでもはないのだが。

 これは結構困るよね。つまり、結局、自分なんてものは、脳が出す電気信号の塊による現象なのだから、いくら複雑であるとはいえ、物理的なそれに逆らうことはできないのだ。ソフトウェアでいくら命令を書こうが、ハードウェアがそれに対応していなければ、意味がないようにね。この諦めのようなものを持ちながら、人々はどう生きているのだろう。自身というものの意味のなさ、ただの観客であることの虚しさに引きずられたりはしないのだろうか。