凹凸のない不毛の土地

 だんだんと、日々が平坦になっていく。

 社会人になったばかりの頃は、平日を毛嫌いしていて。それもあって、仕事の環境を変える際は、ひたすらに環境を良くする方向へと進めていった。残業を減らす。接する人を減らす。仕事も思考に合ったものに。そうやっていった先に、仕事で触れる人は4人くらいで、残業は1分もないという職場にたどりついたのだけれど、今ではそこからさらに在宅勤務がくっついてしまった。素晴らしいボーナスポイントだ。これでもう、日本社会で望める上限に近い状態になってしまったと言える。ずっと在宅で、ビデオ会議ですら、今のところ月1回(しかも数分)のレベル。仕事はプログラムだから、それほど苦手なものではない。極端にストレスがなくなってしまった。今でも仕事は嫌だけれど、正直、生きていくためにこれぐらいをするのであれば、まだ許容できるというか、この楽園みたいな境地に至って、ようやく許容の範囲に入ってきた。生活保護不労所得でもなければ、これより楽、というのは望みにくいだろう。

 逆に、休日における楽しみがなくなってきた。最近の世界情勢というのもあるにはあるのだが、それ以上に僕自身が歳を取るごとにいろんなことへの興味が薄れていっているのが問題だ。いかに浅いものであったとても、歳と共に経験が積み重なっていくから、想定がかなり上手くなっていくから、よほどのことがないと、想像を超えることがなくなっていくのだ。そうなると、途端に興味の度合いが薄れていく。

 そうして、日々はなだらかになっていく。感情は薄く延ばされていく。

 そうだ。この感覚は、僕が無職をやっていた頃の感覚に近い。日々の刺激がなくなり、日々に積み重ねられていくものがなくなっていく。僕はそれなりの期間無職でいたのに、家事をしていたとはいえ、ずっと暇だったはずなのに、あの時期にできたことは極端に少なかった。本も読まず、ゲームもやらず、何もなしに日々を過ごしていた。ただずっと、考え事だけをしていた。その状態に近くなっていく。

 それは、一つの理想だ。僕は別に忙しくて充実している日々を目指しているわけではない。僕が幸せであればいい。幸せってなんだ? どうやれば、僕は充実した気持ちで日々を過ごせるんだ? わからない。わからないままに悩んでいると、矢のように時間が過ぎていってしまう。そうして、もう数年の時が経った。

 大きな変化は現れないのだろう。それを望んでいるだけでは。気付けば僕の残り時間はわずかになっていて、振り返るとただ平坦な荒野だけが背後に広がっている。そこが僕が歩いてきた場所だ。何の面白みもない人生だ。