逃れようもないもの

 ここ最近、脳内の雑音が小さくなっているのを感じる。中学生になった頃、小学生の時にあった極彩色ともいえる想像力がなくなったのを感じ、愕然としたことがあったが、それに近い感覚だ。以前は、どこかしらに出力しなければ狂ってしまうようにすら感じていたものがなくなっている。日記も止まりがちになっている。自分の中で消化できてしまう。自分が生み出したものを、自分で消すことができている。

 なんとも思わない、ということが多くなった。ただ、多くのことが億劫で、それ以上の感情を生むことが珍しい。あと何十年もこの億劫さが続いていくと考えると恐ろしい。そして、その先にある死も。せめて、今ぐらいの溌溂さを保ったまま、永久に生きられないのだとしたら、何の意味も無くなってしまう。まあ、だから、意味なんてないんだけれど。

 瑞々しい感性を取り戻したいと思う。心が震える瞬間を増やしたいと思う。作品に依存する時間が増えていく。恐ろしいのは、どんなに灰色の日々を過ごしたとしても、その一瞬が生み出す脳内麻薬には勝てないということだ。来月、楽しみな映画が公開されるというだけで、億劫な数十日を過ごしてしまえる、ということだ。この先、どれだけつまらない日々を過ごしていくのかと考えるだけでも恐ろしい。そして、それを避ける手段は全くない、とわかっていることが恐ろしい。僕が恐れているものは、全て、それが避けようのないものばかりだ。それは死であり、老いであり、慣れであり、退屈であり、日常である。だからなのか、僕はただただ無気力感に苛まれている。