思考の快楽

 ゲームシステムとか、シナリオとか、単純に考えるのが好きなのだろうな、と思った。それ自体が一種のゲームのようなもので、難解な組み合わせの上に成り立つ何かを壊さないようにしながら、より素晴らしくしていくために思考をするのは、それ自体が楽しいことで、見返りを求めていない。だから、意味もなく、それらを考えているのだろう。

 本当は、社会や人生に利するようなことを延々と考えられたらいいのだろうけれど、僕にとってそれは興味がわかないもので。単純な娯楽だからこそ、自分が楽しいと思っていることにしか、興味が持てない。考えることができない。

 もし、それらを仕事にしたら、そういうもので生きていくことになったとしたら、僕は考えることが嫌になってしまうのだろうか。そうではない気がする。ただ、実際にはやってみないとわからない。やってみて、ようやくわかることばかりなんだ。他人の経験譚は参考にはなるが、正解にはならない。まず、やってみるしかないのだろうな。どうせ、脳は死に際に後悔しないように出来ている。脳が感情を補正する。その諦めを楽観と読み違えて、やってみるのが良いのだろうな。