創作未満

 何となく、妄想をし続けていたから、創作未満のようなことばかりをしていた。だから、どういう理由でそれをやっているかを整理しようと思った。何度も挑戦して、完成しないのなら、それをする理由がないように思えたからだ。本当にやりたいと思うなら、すでに完遂しているだろう。ならば、どうして、僕はそれをなし得ていないのに、何となくやりたいと感じているのだ。

 

 まず、最初に思ったのは、作品に触れた時、その作品が完璧でないから、創作意欲が現れるというものだ。割と減点方式というか、その初期条件から生まれるであろう最高の作品が何となく見えていて、その差分が何となくわかる。だから、それを修正したくてもやもやしてしまうのだ。これは明らかにそうで、何か光るものがあるのに、物語の構成が甘くて微妙になってしまっている作品なんかを観ると、猛烈に修正稿を書きたくなる。というか、書く。で、一人で納得している。逆に、完璧に近い作品をみせられるとただ涙を流し、この作品に触れられたことに感謝する。創作意欲なんて微塵も現れたりはしない。ゆえに、これは僕の中で結構大きな要素だと思われる。

 次に、物語の構成を考えるのがパズルのようで面白いということ。何か魅せたいシーンがあったり、面白い設定を考えた場合、そこに辿り着くまでの明確で無駄がないつなぎを考えたくなる。そして、どうにも矛盾していて、繋がらないように思える要素を、一つのアイデアで繋ぎ止めることが出来るとわかったその時、もう、本当に脳内麻薬がドバドバ出て、生きてて良かったぁ最高! みたいな気持ちでトリップ出来る。そういう思考対象として、使用している時も多い。

 最後に、退屈な日常ではなく、自分の心を動かせるものに少しでも触れていたいという心理。これは明らかで、僕が創作もどきを考えている時間の大半は、仕事中とか散歩中とか入浴中とか待機中とか就寝中とか、考えること以外に出来ることがない時だ。だから、メモを取る前に忘れてしまったりして、振り出しに戻ることが多々ある。逆に、家にいたり、パソコンの前にいる時は、どうにも脳が硬直してしまっているのを感じる。おそらく、興味が移る対象が山のようにあるため、そちらへ処理能力が割かれてしまっているのだろう。

 

 これをまとめると、僕にとって、創作未満の妄想は、生きるのに必須ではないが、退屈な人生を少しはマシにするために必要なものだという位置づけぐらいになりそうだ。