完成主義

 完璧主義、とは定義が異なるので、完成主義、とでも呼ぶべきだろうか。とにかく、作品が過不足なく、完成していて欲しい、という思いが強すぎる。作品に触れても、すぐに瑕疵を感じてしまい、それを直したいという気持ちが収まらない。飢餓感、虚無感、喪失感、欠落感、そういったものを抱く。

 作品に触れるのは、苦しい。そういったものを感じなければいけないから。それでも、稀に完成している作品がある。だから、やめられなくなってしまう。僕が感じない程度に完成していればそれでいいんだ。それなのに、それがなかなかない。だから、もがくように、苦しみながらも、作品に触れる。だから、レベルの高い作品にしか触れたくない。無駄な時間はないし、苦しい可能性が高いものに触れたくはない。

 いつからそうなってしまったのだろう。おそらく、元々、僕はかなり強烈な完璧主義者であって、あまりに高いそのハードルから自壊し、一度、諦観を基盤に再構成し直している。その中で、僅かに残った完璧主義が、僕の中で最も執着し続けている面白さ、エンターテインメントというところに結びついてしまい、非常に強固な城砦を築き上げることになってしまったのだと思う。

 馬鹿げた話だとわかっている。ふざけた話だと自覚している。

 けれども、どうしても、完成形を望む気持ちから離れられない。ほとんど全ての作品に対して、失望している。本当に、くだらない話だ。そんな態度でいたら、世の中の全てがくだらないに決まっている。その中に、自分自身も含まれてしまうのがわかっているのに、不整合を見つけ出し、炙り出し、非難し、修正することをやめられない。完成していて欲しい。そんな歪んだ望みのために。