完成形に近づきたいか、完成形に近づけたいか

 妻と「MIU404」の話をしていた。ここが良くなかった、どうして、あそこはこうなっていたのか、こうしたらよいのではないか、とそんなことを延々としゃべっていた。趣味なのだ。僕と妻は割と感性が近いようで、創作物の感想が大きく外れることがない。僕が作品の評価として信用している一番のものは大衆の反応であり、二番に僕自身で、三番目には妻だ、というぐらいには信頼している。その妻と話しながら、改善点を洗い出していると、むくむくと創作意欲がわいてきたので、その話をしたら、妻はそんなことがないという。

 彼女は、素晴らしいものに触れると、創作意欲がわくらしい。僕は逆で、中途半端に面白く、面白くないものを見た時が、一番創作意欲がわく。

 僕は、究極の作品に触れたいだけなので、誰かが創ってくれるなら、それが一番いいのだ。だから、素晴らしい作品に触れた時は、もう、大丈夫だ、この人なら究極の作品を創ってくれると安心するし、創作意欲は凪ぐ。そんな面倒なことをしなくていいんだな、と思える。

 けれど、面白そうな要素やコンセプト、テーマを使っているのに、中途半端につまらない作品に触れると、そこはそうじゃねえだろ、絶対こっちの方が面白いって、お前はこういうつもりでこのシーンを入れてるだろうけれど、それじゃ伝わないって、見たいな改善点がばかすかと浮かび上がって、自分でやった方が早いみたいな気持ちになって、意欲がわいてくる。

 完全に良くない人間だよなぁ。そんなに自分でできるっていうなら、自分でやってみろよって感じだ。そう思ってしまう自分をどうにかしたい。