執着

 面白さ、というものに執着しすぎているのかもしれない。それのためならば、自分の創ったものはおろか、他人の創ったものですら、一度は解体して、本当にそのテーマやコンセプトが持っている面白さに殉じた形に再構成したいという気持ちが抑えられない。

 実際、自分の作品は、本当に何度もぶっ壊している。そのまま、虚飾を施して、何となく遊べるようにして、出版することはできるだろう。一定の支持が得られると思えるものもある。ただ、それが固有の面白さを持っているのか、その固有の煌めきが最大限、発揮される形になっているか、と問われると、そうではない、となってしまう。そうなると、作り直しだ。また、前提を問い直し、既存の構造をぶち壊す。

 他の人の創作過程を見ると、そこまではやらないことが多いと感じる。ちゃぶ台返しはしない。既存のものを最大限生かしたまま、対症療法を施していく。その姿に、むず痒さを感じる。そうではない。その作品におけるイデアはその形をしていない。そもそも、根底が間違っている、と言いたくなってしまう。しかし、実際には期限設定があるし、並行でアートが進まっていたりするし、創作者自身が愛着を持っていたりする。だから、イデアに近づけることは、最優先ではないのだ。

 僕はそんなに技量を持っていない、知識もないし、経験もない。そんな僕ですらわかることは、全て直したくなってしまう。しかし、それを正確に伝える力がない。状況を覆すだけの力がない。最適な形をすぐに思いつくほどの力もない。こんなにも、無力感を抱くとは思わなかった。

 力が、欲しい。この世に出てくる全ての作品が、人を殺してしまうほど面白い作品になるために、使える力が。