創作への狂信
映画やらゲームやらの作品が、外部的な要因(ここでいう外部とは、作品の外という意味で、資金とか人間関係とか広告とかの諸々を指す)でその完成度が落ちているのを見ると、とてもイライラしてしまう。その程度だったのか、その作品にかける情熱、いや、ミューズ、つまり完璧な創作への信仰は。もちろん、本当に万全で創作なんて出来るわけはないし、数多の制限があるからこそ、面白くなるという側面も存在する。しかし、それはその限られた中で、ベストを探すという過程があってこそだ。ただ、公開日に間に合わせるとか、プロモーションの関係だとか、そういうことを目的としてしまって、惰性や諦観が入り込んでしまった作品は、必ず面白くなくなる。そうすると、そのアイデアは殺されてしまったことになる。ある作品を創るという行為は、まだ作品になっていない類似作品を殺しているわけで。それなりの覚悟を持って創って欲しい。個人の理念とか、利益とかね、そういったものはどうでもいいんだ。どうせ、時間が経てば朽ちて消えるだけのものでしかない。そんな些事に囚われて、根本がぐらついてしまった作品を観ると、ただ、哀しい気持ちになってしまう。