遊びなんだから真剣にやれ

 テストプレイ会に行ったのだが、多くの人が、おざなりな仕事のような感覚でゲームを創っていて、正直、絶望した。何のためのゲームなのか、全く理解できない。意味のないような作品ばかりで、なぜそんなものを創ったのか、と問うても要領を得ない。

 曰く、面白いゲームをプレイしたから、とかなのだが、そうなったとして、何も考えずに創るのはおかしいと思わないのだろうか。たとえば、いい車、かっこいい車を見つけたとして、自分でハンマーを持って、鉄の板をたたき始めるような人間がいるだろうか。僕にはそれと同じように思える。

 車というのはなのか。何がどういう働きをしているのか。自分にとっての車とは何なのか。どうして、自分が創る必要がある車で、どういうことを実現したいのか。そういったことが明確になって、始めて設計が意味を成すだろう。そうでなければ意味がない。

 そういえば、以前、イベントに参加したいから、という理由で同人誌を書いていた人を見て、驚愕したことがある。つまり、そういうことなのだろう。ゲームを創るという行為に付随した何かが目的になっているのかもしれない。

 僕は激怒した。ゲームは遊びなんだ。ゲーム創りは虚無だ。だからこそ、自分でやっているからこそ、真剣であるべきだし、真摯に向き合うべきだ。そうでなければ、わざわざ自分の意思で面倒なことをする必要はないし、祭りに参加したいとか、承認欲求を満たしたいとか、人を笑顔にしたいとか、そういった理由なら、他の方法でいくらでも叶えられる。これでなければ条件が満たされないので、ゲームを設計しているのだ。そんなことを言っている人の方が狂人なのかもしれないが、そうだとするのであれば、僕は世間の方が狂っていると感じる。