創作物を頼りに

 この間、妻が「マンダロリアン」の予告を見て、泣いていた。理由を訊いたら、これを見られると知って、生きていて良かったと思ったら泣けてきてしまったようだ。彼女は、ボバ・フェットというマンダロリアン(種族)の一人がとても好きで、そのスピンオフ映画を楽しみにしていた。しかし、「ハン・ソロ」の興行的失敗によって、キャンセルされ、そして、代替というかのように放映される「マンダロリアン」というTVシリーズに希望を見出していたようなのだ。とても良い人生だと思った。そんな風に、人生の理由を創作物に依存して、僕たちは生きている。それでいいのだろう。僕は仕事が退屈で死にそうになるたびに、仕事が終わった後に「メギド72」のイベントがあると心を支えながら、この一週間が無駄に終わったという気持ちを抱きながらも、今週末は楽しみにしていた映画が公開するので相殺だと思いながら、ただ、日々を生きている。そうとしか、思えないのなら、それでいいじゃないか。きっと、僕は10年経っても、来月発売のゲームを楽しみにしていて、週末に遊ぶつもりのボードゲームのルールを読んでいて、読書中の本があり、気になるところで終わっているドラマがある。そんな日々さえ過ごせるならば、他のことは些事でしかない。