円環と螺旋

 思うに、日々進めているものが必要なのだ。別に誰に発表するでもなく、僕は文章を書いていたり、ゲームのルールや実装を考えていたりする。これは、本当に何でもないもので、ただ創っては壊すだけの児戯なのだけれど、それは日々にベクトルを与える。昨日よりも今日、進んでいる。その感覚を付与する。それがないと、昨日と今日、明日がどの時系列で並んでいたかがわからくなってしまう。月曜日と水曜日を入れ替えても、プラスチックごみを出したかどうかしか、違いがなくなってしまう。そうなると、どこに向かっているのか、この日々に意味があるのかわからなくなるというか、いや、ないのだけれど、ある程度は自分が納得できているのか、むしろ、納得していないのだから、この違和感がある方が正しいのか……? 全てがわからない。僕は無知だ。

 ただ、この無風の日々が、普通の日々が続くと、心に良くない影響を及ぼすことは本能的に理解している。それを避けようとしている。確か、アメリカかどこかの研究で、創作は精神的なストレスを軽減する効果があると出ていたはずだ。きっと、それが正しいのだろう。僕は僕のために創作をやっている。それをやめてしまう必要はなかったのだ。しかし、どうしてやめてしまったのだろうね。最近、そういうことをしていなかったのだ。この日記もそうなのだが、何となく始めて、何となく続くという条件でしか習慣化できず、続けらない体質のため、やめる時も特に理由はなく、スパッとやめてしまって、再開することがないという状況になってしまう。意識的にせねば。だが、意識的にすると、今度は飽きが来る。強制されることを好まない体質が邪魔をする。やっぱり、ただの我儘だな? 子供がそのまま大きくなったようで、自分のことなのに呆れ果ててしまう。全く、自己嫌悪で忙しい。