凡庸なものは全て嫌いだ

 なぜ平日が大嫌いなのかということを考えた。そして、すぐにわかった。僕は余計なものがとても嫌いなのだ。長編より短編が好きな理由もそれである。理由のないエピソードが存在していると、それだけでその物語の評価が下がる。3巻、いらなかったよね、と思ってしまう。???編、丸まる無くても成立するよね、と思ってしまう。だから、僕にとっても平日はそれなのだ。今日という一日、いらなかったですよね。新しい知見が得られたわけでもない。そう、これが僕の焦りにつながっている。なにか楽しかったり、新しい発見があったり、そうなればいいのだけれど。でも、僕はゲームをやろうが、映画を観ようが、なかなか発見があったと思わない。既存の何かでしか構成されていないとか、新奇性のあるものがないとか、完成度が低いとか、思ってしまいがちだ。特にゲームや小説なんかは物心ついた時からずっとやってきているわけで、そう思う確率が高い。だから、平日は嫌いだし、焦ってしまうし、無気力になってしまう。

 最近、ボードゲームに熱を上げているのも、それが比較的新しいジャンルだからなのだと思う。「カタン」を近代ボードゲームの元祖ととらえるならば、その歴史はTRPGやTCG、デジタルゲームよりも浅い。だから、未発見のものを見つけられているのではないか。研究者や創作者が少ないのも、より未知のデザイン領域があると感じられる理由なのだろう。だから、一つでも平日に発見があれば、その日は必要となり、この虚無感は薄くなるのだと思うのだが。

 まあ、馬鹿げた話だ。そもそもを言えば、僕の人生というか、人類の存在自体が意味がなく、丸ごと吹き飛ばしてしまっても、何ら影響のない事象だというのに。だから、僕は平日が嫌いで、人生が嫌いで、人類が嫌いだ。