仕事と報酬

 僕は、仕事をしてまで生きていたくないと思ってしまう。いや、厳密に言えば、生きてさえいればいいと思う。牢獄に入っていても、本は読めるわけだし、最悪でも、この思考がはっきりとしていて、本が読めればよい。僕にとって、これは最低限の生活であり、つまりは罪を犯せば、それは保証されることになる。将来を心配する必要はないのだ。

 もちろん、本当ならばPCゲームもしたいし、妻や友人と話したりボードゲームもしたいし、散歩もしたいし、映画も観たい。しかし、どうだろうか。こうやって列挙してみても明らかだが、どう考えても費用の掛かる欲望がない。もちろん、全てのゲームを購入すると考えれば別だが、それらを全てプレイするような時間はない。映画だって、ゲームだって、趣向性の高いものであって、向き不向きもあるから、僕が欲するものはそう多くない。

 お金がかかる欲求を僕はあまり持っていない。周囲からうらやましがられるようなものを欲しいとは思わないし、身の回りのものにも執着がない。自分の部屋が4畳しかなくても狭いとは思わなかった。家が古くても慣れてしまうし、車だってオンボロで構わない。むしろ、なくてもよい。学生時代、家から駅で15分、駅から大学で30分を歩いていた人間なので、歩くのも苦ではない。というか、むしろ好きなのだ。

 逆に時間はかかる。特にゲームはその傾向にあって、STEAMで1000円で買ったゲームでも数百時間遊ぶ人も少なくないし、何なら無料でDLできるゲームで余暇のほとんどの時間が潰せることだってある。買ったボードゲームもほとんどは数回プレイしただけで、底が見えるほどやりこんだゲームはない。本や漫画も多くは一度読んだきりだ。映画も同じ。

 やっぱりさ、仕事を真面目にする必要はないのだ。列記していくとよくわかる。本当になくなってしまった。昔は、子供が欲しかったり、欲しいものがそれなりにあったりした。でも、今は子供はいらないし、ものがあっても、それを堪能できないのなら、買った意味がないと思う。低収入低出費で生きている人も、一昔前から考えられないほど増えた。低収入であるほど、税制の恩恵が得られる分、時間当たりの収入が結果として高くなるのだから、効率が良くなることもある。僕もローコストの生活を目指すべきなのかもしれない。