宝くじに当たったら

 宝くじに当たったら、みたいな話になると、それでもやりたいことが仕事を辞めたいぐらいで、特に使い道が思い付かないと思っていた。なんか、その物欲みたいなものがわいてこないし、それを持っている人間は、どうしてそれがあるのに、金が稼げる行動を取らないのかと不思議で、変に思えてきてしまうので、違和感があったのだが、色々考えて、ようやく僕にも使い道が見つかった。

 僕は大学に行きたい。いや、行ったんだけれど、もう卒業したのだけれど、もう一度行きたい。いや、一度ならず、一生、別の大学、別の学部を渡り歩いてもいい。これなら、お金も時間も必要だから、宝くじに当たる必要があるはずだ。幼く愚かだった僕にとって、大学というのは、会社に入るための通過点でしかなくて、その時間をちゃんと楽しむ前に終わってしまったという気持ちが強い。別に研究はしたくないのだが、勉強はしたいのだよね。大学だって、一番お金がかからない大学ということで選んでしまったし、学部も最もいい会社に入れそうなものを選んでしまった。僕が学びたいことは他にもあって、それを学んでみたいと思う。そもそも、強要されていない勉強は楽しいものだ。きっと、子供の頃、みんな大人から押しつけられるから嫌いになってしまうのだと思うよ。まあ、勉強はどちらかというと達成者のためのものだから、根幹的な性格としては僕に向いてない感はあるけれど。

 そう言えば、学会であったユダヤ人の息子と娘がそんな感じで生きていて、気が向いたら仕事してる感じだと言っていたのを訊いたな。世界でもトップクラスに恵まれた環境に生まれた人々は、そういった環境を堪能し、より優れた存在になるのだろう。ユダヤ教徒にはなりたくないので、羨ましくはないが、残酷なことだなぁ。脳科学的にも家の収入と知能は基本的には比例していないが、貧困層だけは確実に脳の発育が遅れるのは確定的に明らからしいし。真面目に人生をやっている人は、すごいよ。僕はこんな不条理にまみれたゲーム、まともにやる気がしない。