宗教

 イエール大学か何かの死についての講義をまとめましたみたいな本がそれなりにヒットしていた。まあ、一応読むかと思って読んだのだけれど、これは本当に馬鹿らしい出来だった。

 西洋的に言えば、天国や神なんていないと認め、魂と肉体とする二元論ではなく、一元論を主張しているだけでも意味があるのかもしれない。でも、そんなの当たり前すぎるし、それなのに、ショックを受ける人もいるだろうが、みたいな感じで講義が進んでいるので、シュールでしかない。ここは中世か? それに、二元論を封じたというのに、彼は結局、肉体的機能であるB機能と、人格的機能であるP機能という概念を持ちだし、脳死などについて語り始めてしまう。いや、ちょっと待って。それって、精神と肉体の言い換えだよね。それは不可分なものなんだよ。閉じ込められ症候群(脳は活動していても、肉体は全く動かせない状態)の場合、どうやって、P機能があるって証明するんだ? そもそも、記憶喪失や痴呆症、アルツハイマーといった人格に障害がある状態もある。どこからどこまでがP機能で、どこからがB機能なんだ? 全く、馬鹿らしくて仕方がない。そんな明確な線引きが出来ないのは、現代の脳科学や精神学を知っていれば明らかなのに。

 合わせて、彼は人生における価値の積分を生きる意味とすることを提唱する。だから、それがマイナスになると明らかな場合だけ、自殺に合理的な意味があるというのだ。まあ、普通に考えればそうでしょう。でも、そもそも、価値ってなんだ? 客観的に言えば、価値なんていうのは存在しないし、主観的に言えば、価値なんてものは自分で定義付けるものでしかない。薬物などの化学物質や環境、バイアスによって、その評価は歪められてしまう。その曖昧さに言及していない。全く、馬鹿らしい。つまりね、彼はキリスト教的価値観から、結局抜け出せていないのだ。だから、たびたび、鋭い質問や、思考実験を行っているのに、それはもっともらしくないとか、ふさわしくないとか、正しいとは思えないとか(本当にこんなことが書いてあるのだから、驚きだ!)、そういう先入観によって、価値の決めつけをし、理論的な答えを導き出すことができていないのだ。

 僕は心底、がっかりしてしまった。これを読んだ人が、死に向き合うようになるとは到底思えない。本当に、意味のない本で、こんなのに衝撃を受けるのは、西洋的な価値観に身を沈めている人か、無知蒙昧な輩だけだろう。ちょっとでも知恵があれば、すぐ不備に気付けてしまう。本当にキリスト教圏に生まれなくて良かった。僕の周りを見るに、幼い頃から宗教的な価値観を押しつけられてきた人々は、そこから抜け出すのにかなり苦労しているし、そこから抜け出しても自分への肯定感がなかったりして、大変そうにしている。全く、宗教は害悪だよ、本当に。真実から目を背けさせる。なにが、目覚めよ、だ。逆のことをしているじゃないか。