老い

 なんだかんだで、皆、自身の老いに気付かないふりをしている。

 僕の職場には、おそらく70歳ほどの社長がいて、一応、彼が最終的な決断を下している。研究者でもあるので、確かにその知識や頭のキレは良いのだが、外野の僕から見ても、ここ1年はかなり老化が進んでいる。明らかに怒りやすく、頑固になってきているし、忘れっぽくなり、その割に自信がない自分の意見を言う時には人に媚びたような微笑を加える。僕が入社した時よりも、劣化していて、特にここ数ヶ月はひどくなっているように思える。僕は老人ホームで働いていた(といってもバイトだけど)ということもあり、老いには敏感な方で、彼はかなり危ないラインに来ていると思う。ここまで来ると、一気に老いは加速し、ちょっとした病気や怪我がきっかけになり、痴呆症や寝たきりといった状態にまで一直線ということすらあり得るように見える。

 しかし、彼らはなんら対策を取っていないのだよね。社長は今の業務の要となっているのは間違いなくて、職務が全うできないとなれば、かなりのダメージとなるはずだ。それなのに、それを想定していない。逆に、数年後の話なんてし始めるから、僕は呆れてものが言えなくなってしまう。僕自身だって、数年後には死んでいる可能性が無視できないと思っているというのに。ましてや老人では。

 みんな、老いや死を考えなくて済むように、目を反らせるように、生きているのだ。僕なんかは、老いの果てが知りたくて、わざわざ上記のような場所でバイトをしたぐらいなのに。思えば、より虚無感が増す原因にもなっているな。そこは民間の老人ホームだったので、富裕層のみが顧客だったけれど、それはもう悲惨なものだった。知性が残っている人ほど、悲惨だった。姥捨て山に来てしまったという現状を理解してしまっていて、でも、自身と周囲は違うというプライドを持っているものだから、一線を引きたがり、周りから疎まれる。そして、結局、その痴呆たちの一部となっていく。どんな会社を興そうが、どれだけの企業で地位や金を稼ごうが、最後はあの場所だと知ったら、誰もが人生に価値があるなどと思わないだろうな。そんな、果ての場所だった。

 ああ、僕は老いる前に死にたい。もう十分に老いているが、自身が自身を保てなくなる瞬間を、その一線を越えたくはない。でも、その一線上にいる時には、もう僕という現象は僕という形を保てなくなってしまうのだろうな。老後に価値を見出している人間は、現実が見えていない。現実が見えていないからこそ、社会に奉仕が出来るのだろう。盲目的で大変結構なことだ。勝手にやっててくれ。僕は降りるよ。