障壁が存在しない
現実感がなく、スカスカした感覚のまま、今の今まで生きてしまっている。それはきっと、挫折や障害に出会ったことがないゆえなのだろう。
なんとなく、こう思っているということが昔から存在した。なんとなく、僕は普通に生きていくと思っていた。小学校の頃に、地元の国立大学に通っていた時期があって、将来もそこに通うことになるんだろうなと思っていた。その通りになった。なんとなく、高校生の頃、この人と結婚するのではないかと思っていた。その通りになった。なんとなく、ここで働くのは色々都合が良いなと思っていた。その通りになった。もちろん、そうなるのだろうと思って行動しているのだから、そうなるのは当たり前だ。ただ、そこには乗り越えるべき壁があったり、あるいは思い通りにならなかったということがあるべきでしょう。それがない。感じられない。するっと、思った通りになってしまっている。こういう経験が延々と続くと人間はどうなってしまうのか。達成感を抱かない。どうして、上手くいったのかも検討できないゲームはクソゲーでしょう。まさにその通り。快感回路が上手く機能してくれない。
思えば、お金に関しても、僕はどうにも実感が無くて、何も考えずに買ってしまう。欲しいか、欲しくないかが問題だという気持ちが常にある。僕は働くのが好きではないし、裕福とは遠く離れた家庭に生まれたから、金銭には不足しているはずなのだけれど、支払いが滞ったことがない。計算されてのことではなくて、残金が不足してくると、突発的に金銭をもらったり、仕事が回されたりする。まるで、誰かが僕のリソースを管理してくれてるかのように、万事が上手く回ってしまう。致命的なダメージを受けたことがない。僕はプレイヤーに操作されているコマのようだ。コマ自身に意志はなく、意味もなく、代替可能で、面白みも感じられない。
どこか、夢見心地のまま、ベールに包まれたような人生を歩んでいるという感覚がぬぐえないまま生きている。そう言えば、アメリカの研究で人生に制御感(自分の人生を自分で決めているという感覚)があるという感覚こそ、最も幸福度と相関しているという結果になってたものがあったっけ。ああ、やっぱり統計って奴はすごく正確だな。特に僕みたいな特異値を持たない人間には。