思想未満

 自分の相棒のような人を見つけられた人を昔から羨んでいたことを思い出した。いるじゃないですか、奈須きのこにとっての武内崇とか、川上稔にとってのさとやすとか。なぜ欲しがるかといえば、物心ついた時から、他者との断絶を感じてしまうからなんだと思う。家族やクラスメートたちと。もちろん、みんな、そうだと思うのだけれど。胸襟を開いて一緒にというところまで行かない、どうしても違っているのだ。

 根幹のところで、大事にしているものが違うと感じてしまう。社会で平然としている人は論外というか、話が通じないので存在していないも同然なのだけれど。そうでない人ですら、ふとした時に絶対的な差を感じてしまう。僕が外向的でない理由の大きな一つであるように感じる。話が通じる相手が、自分しかいないのだから、壁打ちを続けるしかないでしょう。内向的にならざるを得ない。

 なんか政府がその人の性格とか価値観を統一管理して、同じような人が物理的にも近くなるように分布させてくれないかな。そういうので問題を感じないのか、大多数の人は。世界が発展していって、地域差がなくなったら、思想の違いとかで住む場所を変えたりする時代にならないかなぁと昔から思っていたのだけれど、そうなる前に確実に死んでるしなぁ。ああ、ままならぬものだ。まあ、僕がもう一人いても、一緒にボードゲームできるぐらいしかメリットないし、これぐらい断絶を感じつつ生きていく方がよいのかもしれないな。僕は昔から差違がなければないほど気が合うという妄想に取り憑かれているように思える。