鏡の世界にも僕しかいない

 僕は僕でしかないというのは、ただの事実である。だから、この人生は僕にとってだけ、唯一性があり、貴重なものだ。現代社会はそれを一と数えることで成立しているが、僕だけはそれに反抗していかなければならない。事実とは異なるから。

 その主張は、人生は素晴らしいなんて美辞麗句のようなものではなくて、単に、唯一性のある現象であって、それが自分自身なのだから、どんなにくだらなくても、それはあなた自身の唯一のものだという科学的事実に基づく話をしている。だから、異なる現象である他者と比較するというのは、おかしい。

 そう、おかしいんですよ。だから、僕は負け組、勝ち組という括りをしている人たちが本当に信じられない。僕はそのどちらとも言われる時期があっただろうと思うが(同じような境遇の人々が自身をそう言っていたので)、正直、そんなものにはなんの意味合いもない。そもそも、時代と共に評価が変わるものを軸にしていて、世界が変わったらどうするつもりなんだろう。

 たった一度しかなく、唯一無二のこの人生は。客観的な価値や意味などは存在せずに、ただ虚無だけがある。自身がそれを認めるにせよ、幸福であるにせよ、ただの現象として生まれ、ただの現象として潰える。それを考えれば、確かに、負け組だの勝ち組だので騒いでいられるだけ、他者と比較して幸福に思えるような精神を持っているだけ、愚かだが幸せなのかもしれないな。自分と対峙するしかなくなったら、そこに誤魔化しは存在しないのだから。