幸福に関して

 現代の幸福量というものが、一番の問題だとした場合、しかし、ならばどうして脳に電極を刺して幸福を感じさせたり、クスリに手を出さないのか、という問いに答えられなくなってしまう。

 それが正しくなってしまうんだよね。死ぬまでの幸福量でその人生が幸福かどうか決まるのなら、ただひたすらにクスリを打ち続けて、切れた時に死んでしまうのが正しい。まあ、依存症になってしまうと快楽はほとんど得られなくなってしまって、その少量の幸福感をかき集めるために依存するというのが脳科学的に正しい事実なのだが。

 だから、そうなってしまった時には死ぬ。それが最善では?

 仮に反論するのであれば、クスリなどに頼ってしまうと脳が不可逆的な変化をして、他の行為をしてもほとんど幸福感が得られなくなってしまう。そして、クスリに頼ってすら、そんな状態になってしまうことがわかっているので、結果として幸福量が減ってしまうから、と言うことは出来るだろう。しかし、その場合は現代ではなく、未来を考慮してしまっている。ならば、どうせ人は死ぬという話が出てくるし、未来は本質的に予測不可能だという話が出てきてしまう。

 うーん、やっぱり、この世界でいろいろな楽しみのために生きる、みたいなことは論理上、最適になり得ないようで困る。反論不可能な理屈が付く生き方がないのだよね。どうしたものか……