安定性に関して

 最近、僕が考えていることの一つに、安全性や安定性は本当に人生のクオリティを上げるか? という問いがある。

 なぜかと言えば、脳科学を学べばわかるのだけれど、人間は予期せぬ報酬にかなりの重きを置き、嬉しいと感じることがわかっているからだ。安定的な報酬は次第にその主観的な価値を失っていき、突発的な報酬はバイアスがかかる。だから、人々は毎月何十万というお金が口座に振り込まれているというのに、不意に得られた千円に喜ぶ。だから、ギャンブルはこの世から無くならない。

 ならば、と僕は思う。報酬に波がある方が、トータルで得られる幸福量は増えるのではないか、と。安定した報酬にほとんど快楽を感じないのならば、まばらである方が価値があると感じられるのではないか。そうでなくとも、報酬と幸福量の関係には対数関数的な相関があり、上限が訪れるのは早いと言われているのだから。

 また、実際に、変化の多い生活の方が幸福量を上げるという研究もある。さらに言えば、老化や認知症の予防になるという結果もある。安定的な生活では、その効果は得られないのではないか。

 しかし、同じように予期せぬダメージは、強いマイナスとして捉えられてしまうという欠点があるという人もいるだろう。だが、これにも反論はある。まず、人間は負の状態になれるし、その過去を勝手に都合良く解釈してしまう。あの苦労があったから、今の状況があるのだと。また、その負の感情があればこそ、より報酬をもらった時の幸福度が上がるという研究もある。

 どうだろう。多くの研究が、自然状態、つまり、安定性がない状態で人間はある程度の幸福さを感じられるようになっていると示唆しているのだ。それは当たり前で、その自然状態でも生存できた個体が僕たちなのだから、それに最適化されているに決まっているのだ。ならば、安定性を求めるのは、本当に不安定な環境に置かれていた時の原初の感情なのであって。本質的に安定的な現代文明において、不健康なまでの安定を求めるのは、むしろ本末転倒なのではないかと懸念を抱いている。

 みんなはこう言ったことを考えないのだろうか。皆、より多くの安定を求めている気がする。それは、幸福に結び就いているのか? あるいは、皆、そんなに幸福であることを望んでいないのかもしれぬ。