なににどれだけの価値があると思うのか

 あるボードゲームデザイナーさんが、今の仕事を辞めてデザイナー専業になる理由として、自分の1年を例えば1000万円で買えるのならば、安いのではないかと言って辞めたと言っていた。その通りだと思う。

 若い頃の自分の時間は、本当に貴重なもので、後々にいくら金を出そうが買えるものではない。それを消費すれば、確かに年に数百万をもらうことができるかもしれない。けれど、それで何をすると言うのだ。家が大きくなり、便利になり、食が豊かになる。しかし、それを堪能する時間はなくなっていく。プレッシャーも大きくなる。そこから、転落した時のダメージも大きくなっていく。そこまでの価値があるのか? 僕はそう考えてしまう。老後の安心なんてものは、大きいテレビなんてものは、本当に欲しいと思っているのか? ただ、周りに流されて、何も考えていないではないか? 子供が欲しくて頑張っているのに、家を豪華にしたくて頑張ったのに、結局、その子供と交流できず、家にも戻れなくなってしまっては、本末転倒ではないのか。いつからか、そう思ってしまうのだ。

 ここまで書いていて、やっぱり、コスト感覚の違いなんじゃないかな、と思ってくるな。いわゆる普通の人は、どういう理屈をつけて、その生活を営んでいるのだろうか。僕には非常に意味の分からない行動に思えてしまうのだ。