1年という区切り

 1月1日には意味がない。もともと、西暦では、農作業ができない冬の間は月すらなかったのが定説だ。3月21日が春分の日として決められ、逆算して1月1日は決まった。つまり、特別さは全くない。ランダムな日、例えば6月8日と変わりはないのだ。しかし、人々はそこに特別さを見出し、区切りとする。なぜならば、そう定義したからだ。

 普段、僕たちはその由来を考えずに、完全に社会に埋もれてしまっている。ただ、周囲から押しつけられた元旦とか、1年とか、そういうものに慣れてしまっている。そうではなくて、一度はそれがどういうものか理解した上で、それでも便利だからと使い続けるのと、何もわからないまま、ただ周囲に任せて、一般的なことをし続けるのでは、違いがあると思っている。それは内在性であるか、外在性であるかの違いだ。これが、自分の人生に納得するために必要な違いだと考えているので、後でまとめたい。

 要は、常に自分で考える癖を付けたいということだ。当たり前に流されて、自分のやりたいことができなくなり、憂鬱としてしまうのを避けたい。だから、皆が人波に乗って歩いているところで、たまに立ち止まって、自分の立ち位置を確認しようと思う。本当にこの方向で正しいのかと、そこに向かっているのは本当に自分の意識で、欲望なのかと。