自己肯定感の根本

 妻と話していて、どうして、そんなに自己肯定感が高いのか、と聞かれた。確かに、ネット上に自己評価は上下するが、自己肯定感は高いまま、という画像が貼られていて、それに近いな、と思ったので、自己肯定感が高いのだろう。

 で、大元をたどっていったら、おそらく、小学生ぐらいの時に、それなりの場所に出られたというのが大きいのではないかと思った。周囲は一回り大きい人たちばかりだったし、その中でそれなりの働きができたのは、大きな自信の一つとなった。しかし、同時にとてつもない世界を知った。世界には、自分と同じぐらいの年齢で、とてつもないことをしている人間がいることを知った。確かに、環境の違いもあるだろうが、それを超えた才能を持っている人がいる、というのを同時に感じたのだ。これが良かったのだろう。

 地方を限定したり、そこからさらに年齢を限定すれば、ある程度のところに行くこともできるだろう。ただ、基本的には、それは井の中の蛙なのであり、もっとすごい人はいくらでもいるのだ。そういう、等身大の肯定感が得られたのだと思う。だから、誰かから評価されることにあまり意味がない(もっとすごい人はいくらでもいるので)という感覚と、しかし、自分も捨てたもんじゃない(それなりのことはできるので)という感覚が幼い頃から同居出来ていたのだ。今思うと、幸運であるという他ない。

 そういう、感覚の基盤があって、その上に今ではしっかりとした論理が乗っかっているので、堅牢な肯定感、というか絶対感というものがあるのだろう。きっと、死ぬまで不遜にしていられるに違いない。明日、世界から自分以外の全ての人間が消えたとしても。