すぐにリソースを気にするのはゲーマーの性なの?

 コスト感覚がシビアすぎるのかもしれないと思った。

 僕は飲み会とか全然好きではなくて、その理由の一つに、これだけ多くの人を集めておいて、酒を飲んで意識や理性を曖昧にする合理性がないと思うからというものがある。人を集めるというのは、膨大なコストがかかる。スケジュールを合わせ、個々の時間を奪い、同じ場所へ向かう移送費もかかっている。それだけやっておいて、アルコールを摂取するなんて馬鹿らしいと思ってしまうのだ。

 社会に出て、いや、今まで生きてきて、というべきか、多くの人は、なんか時間や労働力に関するコスト概算が甘いと常々感じる。そんなに労力をかけるべきではない些事に多くの時間を消費し、自分がやればまるでコストがかかっていないかのように振る舞い、友人や家族の時間が無尽蔵だと勘違いしているような人々ばかりだ。時間は有限である。ゆえに、あらゆるリソースもまた、有限だ。だからこそ、それらはこれだけのコストをかけてまでやるべきことかを考えなければならない。そして、人々が集うような、準備に時間がかかるような場合には、その時間が希少であることを認識し、大事に使用しなければならない。なにとなしに過ごしているのではなくて。

 ゲーマーでなくても、それぐらいはみんな、共通認識として持っていて欲しい。ゲーマーでない人にありがちな三大間違いと思っているものがあって、一つはリソースは有限であり、管理対象であると思っていないこと、一つは勝利条件の確認をしていないこと、一つは自分と他人の利益分配を厳格化していないこと、と僕は考えている。もちろん、現実はゲームではないし、僕だってガチガチに物事を考えて行動しているわけではない。でも、今、この時間は高コストの時間なので大事にした方がいいのか、低コストなので適当でもいいのか、それぐらいは判断していくといいんじゃないかなという話だ。