喜への鈍感さと死への敏感さ
ほとんどの創作作品(映画でもゲームでも音楽でも)、何を感じたのか、と言われると答えられないことが多いような気がした。ぱっと感想を求められても、あまり回答できないというか。でも、後で感想文は書けるんですよね。つまり、何かを考えた、という状態にはなっている。感じた、というより、考えた、となっている。
おそらく、自分は鈍感なんだろう。何となく、それはわかっている。人が気付けることに気付けない。だから、考えるのだ。人が口に含めばわかる味を、僕は何度も噛んで、ようやく感じることができる。
もっと日常の些細なことで喜びを感じろ、と妻に怒られる。それができないのなら、冒険家にでもなればいいと。確かにその通りだ。でも、冒険家になる才能があればそうしている。僕は死ぬのが怖い。死の可能性が上がるような職には一生付けないだろう。なのに、鈍感なのだ。だから、創作に縋るしかない。架空の冒険に思いをはせて、架空の興奮に身を投じるしかない。そうしなくて済むのならば、面倒なことなど考えなくてもよいのだが。