情報の正しさと密度

 僕にとっての作品の出来不出来というものを考えていた。前提として、僕のコンテンツへの向かい方として、創作者の意図を読み取りたいというのがあるのだと思う。もちろん、その前に普通に面白くあるべき、というのはあるのだが。だから、僕にとって出来の悪い作品というのは、意図はわかるが、その実装が悪いと思うものなのだ。だから、こういう作品だと思うのだけれど、その意図を正確に表現するのならば、このようにすべきだ、と考えるという意見になる。もちろん、その変更が正しいとは限らないんだけれど。でも、僕の感想としてはそうなってしまうわけだ。あるいは、作者のメッセージが大したことないと思ってしまったら、大したことのない作品になってしまうし、その結論が間違った知識から導き出されたものだとわかってしまうと、それは間違ってますよ、という感想になる。あるいは、意図がわからないと、申し訳ないのだけれど、僕にはこの作品で表現したかったことが読み取れませんでした、ということになるのだ。

 だから、僕にとって、素晴らしい作品というのは、意図・意味・情報が詰まった作品であって、こういうテーマを伝えたい、こういうことを表現したいのだとわかるし、それはこういうところからも読み取れる、ということを延々と続けてくれるような作品である。