何もしないということができない

 よく、妻は一日中寝ている。そして、起きた時に後悔しているので、どうして、反省しているのにそれを活かせないのか聞くと、でも、どうしても起きられないのだという。思えば、僕はあまり朝起きられないということがない。

 休日でもたいていは平日と同じ時間に起きている。むしろ、早く起きていることも多い。なぜなら、平日では出社という制限があるために、早起きしてもできることは限られているが、休日ならば、そのまま自由時間だからだ。それは喜ばしいことなので、ちゃんと起きる。はまっているゲームなんかがあれば、それはより顕著になる。そもそも平日も起きた時に眠いということは少ないのだ。それよりも、仕事中に全てのやる気がなくなり、病的に眠くなることの方が圧倒的に多い。

 そうだ、僕はとにかく退屈なのだ。だから、ぼーっとしている時間を作ったり、眠くもないのに寝たりすることができない。休んだり、寝たりという、明確な目的があるなら別として、ただ茫然といるということができないのだ。これは結構、問題であって、どうやら他の人は割とそういうことができるたちのようだから、集団行動をしている時にも、そんな時間が発生したりする。待機状態というか、特に何もやってない時間というか。僕はそんな時間に耐えられなくなってしまう。とにかく退屈で、嫌になってしまうのだ。

 やはり、諸悪の根源の一つは、このあまりにも退屈さを感じやすい脳なのだろうな。しかし、死への恐怖や理論的思考とは相性が悪いのだから、嫌になる。どうにか、それらの折衷案としての人生のようなものを考えることはできないのか。