必要な評価軸

 僕は、映画やゲームにおけるテーマは、物語を面白くするための道具であって、目的でないと考えている。それを常々主張してきたのだが、あまり理解されることが少なかった。ここで、僕はあるたとえを思い付いた。それは、薬入りご飯である。

 作品を料理として置き換える。料理にはいろいろな評価軸がある。美味しいだとか、栄養があるとか、安いとか、早いとか。そういう風に、作品もいろいろな評価軸があり、その総合点として、全体の評価が決まる。けれど、テーマとしての主張が素晴らしいというのは、料理の評価軸でないと感じる。それはいわば、薬入りご飯を食べて、血圧が下がったというようなものなのだ。血圧が下がるかどうかは薬としての評価軸だ。確かに、薬をご飯に入れることで、それは料理にはなった。薬用もある。しかし、それは薬としての評価にしか使えない。血圧が下がったから、素晴らしい料理とは言えないのだ。薬は薬のままにすべきだ。だから、本当は論文とか、演説とか、そういう媒体で主張すべきものを、無理矢理、作品という形にするのは歪んでいるし、もし、それが素晴らしいとしても、その基軸は作品を評価するためのものではない。

 ああ駄目だ、眠くなってきた。本当に僕は筋の通ったことを言っているのか? いつも妄言だが、今日は余計に妄言であるような気がしてきた。後でもう一度考える。思い付いた時はすごい、と思うんだよなぁ。無能あるある。