主観的な自分と客観的な自分

 主観的な自分と客観的な自分の差異は埋められるようなものではない。気にする必要はないし、その絶対的な評価値の断絶は、理論的に発生するものだから、知っておくだけでいい。

 たとえば、自分で思っている自分の声は、他人が聞いているものは異なる。自分の体の影響が含まれた声を、自分の声だと思っているからだ。そういえば、中学生ぐらいの時、録音した自分の声があまりにも想定と違いすぎて、ツボに入り、再生した自分の声を聴きながら爆笑して、呼吸困難になったことがあったな……まあ、声ですら、こんな調子だ。況や、他のことでは。

 そうでなくとも、自分はどう考えても客観的には有象無象の一人でしかないし、エクセル上で1、とカウントされるものでしかない。けれども、主観的には異なるわけだ。他人が幸せでも僕は幸せではないが、自分が幸せなら僕は幸せだ。だから、自分の権利を主張でき、自分の利益を確保できるのは、自分だけしかいない。その過程でなんと言われようが、それは他者から見た理屈なので、何の参考にもならない。それをちゃんと理解できず、損している人が多すぎる。

 客観的に自分を見ることも確かに重要だ。そうしなければ、勝手な思い込みで損をしてしまうだろうから。けれど、同じぐらい、主観的に自分を見ることも大事だ。他人に迷惑をかけようが、それは他人でしかないし、組織に負担を押しつけようが、それに属している人はいるが、そのものである人は存在していないのだから。傍若無人であるぐらいがちょうどいいと思う。本当に、普段から我慢してばかりで損をする人ばかり見ているので。僕は一秒たりともサービス残業をしたことがないし、毎年有給休暇は使い切っている。むしろ、それ以上休んでいる。それでも、別に問題は発生しないよ。気楽に行きましょう。