キャリブレーション

 統計より、自分の感覚の方が正しいと思っている人がいて、やべーと思ってしまった。創作者なら、余計に統計の方を信用すべきだと思うのだけれど……

 なんというか、人々の感想の統計というものは、一般感覚の代表なのであって、それが間違っている、というのは違うと思うのだよな。自分の感覚との差異を確認するのは良いと思うのだけれど。

 僕は、主観的な感覚と、客観的な感覚で作品を評価していて、その客観的な感覚な方は、たびたび、一般的な評価というものを見て、補正をしている。僕はそっちの感覚に自信がある方だが、それでもどんどんずれていってしまう。ターゲットが異なっていたり、詳しくないジャンルだったりするとなおさらだ。だから、修正する。

 こういう使い方が普通だと思うのだけれど、そうではなくて、統計の結果を見ても自分の感覚の方が正しくて、統計の方が間違ったデータが出ているなどと思うのは、マジで狂気の始まりだと思ってしまうんだ。

 主観的な感覚と、正しい客観的な感覚を併せ持つことは、凡人であればあるほど、重要なことだと思う。天才はもう、自身の感覚だけで突っ走れば、周りが感嘆して付いてくれるわけであって、それでいい。でも、凡人にあるのは、平均とは少しだけ異なる風景だけで。それを前面に押し出しても意味がない。だから、客観的な感覚と一般的な共感を武器に、理論で設計した面白さを主軸として、スパイスとして、主観的な感覚を混ぜ込むぐらいがちょうどいいと思っている。そこを勘違いして、主観的な感覚だけで簿人が突っ走ると、コミティアで無数にみられるような、棒にも箸にもかからない作品になってしまう。一般人である強みを忘れないようにしなければ。