人間は物語を紡ぐ動物

 相鉄都心直通ムービーである 100 YEARS TRAIN を観て、感心してしまった。もちろん、そのPVの出来も素晴らしいのだが、何というか、この映像を観るだけで、多くの人がストーリーを勝手に脳内に生み出しているという事実に、だ。普通に客観的に観れば、似たような状況が同じ電車で常に繰り広げられているというぐらいにしか思えないものだが、転生とは言わないだろうが、各時代の繋がりというようなものを感じ、それが現代で変わったということを察するのだ。

 つくづく思う。人間の物語を創る能力は明らかに過剰だ。それは生存を脅かすほどに肥大化している。何ら関係のない出来事を結びつけて、存在しないはずのものを創造してしまう。それは迷信と呼ばれたり、神と呼ばれたりする。大昔は生存の役に立ったのかもしれないが、科学的手法と統計を手に入れた人間にとっては、明らかに誤謬を招くものでしかない。それなのに、常にオンになってしまっているものだから、コントロールできず、暴走してしまっている。僕もおそらく、それがおかしくなってしまっている。その物語回路と呼ぶべきものが最大の反応を促す作品たち、つまりは名作、傑作ばかりに触れてきたから、日常的に生まれる物語力では、全く太刀打ちできない領域に基準が上がってしまっている。故に、日常のあらゆることが退屈で、精神的に苦しくなってしまってすらいるのだ。でも、それに触れるためには、日常を生きていくしかない。

 まるで、麻薬の中毒者のようだ。娯楽作品の中毒者。それを得られない状況が苦しくとも、それを得るためには糧を得なければ行けない。そんな本末転倒な状態のまま、生きている。そのうち、最適なバランスを維持することは出来るのだろうか。あまり希望の持てない話だが。