無矛盾

 ああ、わかったよ。そういうことなんだな。つまりね、僕は何らの理屈を付けて、今、あるいは人生でやるべきことっていうのを導き出そうとしている。それをやりたいって気持ちすら、理屈付けのために要求されたものでしかない。どうしてそんなことをしようとするのかと言えば、全部無意味に思えているからなんだな。事実をいくら学んで、それを整理したところで、いつも導き出されるのは、全てが無意味だという結論なんだ。なにをしたらいいのか、わからなくなってしまう。これが、僕の主観なんだ。要は、僕の主観からすれば、何かを行っているっていうのがおかしいんですよ。それをどうにかしたくて、僕は理屈を持ち出して、こっちの方が理論的に正しいのは自明だ、だから、これをすべきなんだって証明したくて、ただそれだけのために拙い頭で色々考えて、調べている。でも、そもそも、主観的にそう思えるのは、論理的な理由からなのであって、主観と客観が一致してしまうに決まっている。それに反駁できるのは、ただ怖いという感情だけで。その恐怖に苦しめられているのに、その恐怖だけが、自分の命を支えている現状を、とても恐ろしいものだと思っている。けれど、そこからどうにも抜け出せない。抜け出せないままに、ただ数十年を費やしてきたけれど、結果は全く変わらない。結論は一つだが、怖いから延期させてくれなんて要求が毎日通ってしまう状態だ。一度たりとも、そこから抜け出せていない。

 結局は、そんなもんなんだ。そうやって苦しめられるものなんだって、ある意味で諦めて、考えることを止めて生きるしかない。でも、それは散々、理屈が成立しないと言っていた普通の生活をするということでもあって。僕は一体、何がしたいんだ? なにか、素晴らしい、輝けるものに出会って、ああ、このためなら、命を懸けられる、自分の人生を捧げられると思いたいのかもしれないが、そんなものがあるわけないじゃないか。その候補に出会ったって、僕は何かと理由を付けてそれを否定するだろうし、そうでなくとも、その輝けるものに全てを注ぎ込むのは、盲目的だなって、老後や家族の心配をして、頑張って社畜をしているのと何も変わらないなって、そんな風に思ってしまうに決まっているのに。何も出来やしないんだ。前提条件から矛盾してしまっていて、無矛盾な状態になることなんて、あり得ない。そもそもの条件を変えるか、つまり、それは物理法則を変えるか、僕自身がどう思うかを変えるしかない。でも、僕はそういう人間、現象として成立してしまっているわけで、これを変えるということは、もう物理的に脳に不可逆的な変化を与えることになる。そうなれば、僕は僕ではないのだろうし、僕が僕であることを保って、無矛盾な状態になることは出来ない。なら、いいじゃないか。矛盾を抱えたまま、生きていけば。それが苦しいのに? どうせ、後は死ぬだけなのに、何も無いのに、苦しい思いをして? でも、怖いんだから仕方がない。そんなに苦しいのが嫌なら、恐怖を克服するしかない。どちらにしても。