「MUSICUS!」の雑感の草稿

・概要

 一応、後でちゃんと精読するつもりなので、という予防線を張っておく。あと、これは本当の話なのですが、澄ルート(初回プレイ)をやっている途中から気持ち悪くなっていき、精神的な理由かと無視していたら、普通に熱が出ていて、これを書いている今も熱が出ています。吐き気でまともなものが食えない。だから、そういう病人の妄言だと思ってくれ。

 

・共通ルート(第一分岐まで)の感想

 共通の質問が提示される。音楽の神様はいるのか。「サクラノ詩」における絶対的な美と同じようなものだと思う。こっちの方が音楽という残らないものを題材にしているせいか、よりシビアな適応をされていると思うが。つまり、音楽そのものに価値はなくて、ストーリーに価値があるのではないかということだ。瀬戸口作品だからと食いついてきた信者たちに冷や水を浴びせるような言葉で、実際にオタク活動(?)と重ね合わせている感想もあった。ここでは、まず、定時制の学校の話がメインとなり、兼業的なバンド活動に触れられ、そこに人生をかけるかというところで、最初の分岐をする。

 

・弥子ルートの感想

 一番、それっぽい話。これがトゥルーだと言っている人すら見かけた。まあ、ある意味ではそう思うのだけれど、僕としては一番表層で引き返してしまっている話という印象だ。音楽というものから一歩引いた視点と言えばいいだろうか。だから、共通の問いにも、創作者というより、一般人の結論に辿り着く。しかし、それが一番の正解に近いようなところがあるから複雑だし、(両極端であるゆえに)澄ルートとの対比はある程度、意識しているだろうし、そういう面白さはある。ただ、この視点は、きらりルートにいかなかった「キラ☆キラ」の感じに近いんだよね。校歌斉唱の例を出すまでもなく。そして、なにより、最も馨らしくないと感じてしまう。何度も何度もこれでいいんだと自分に言い聞かす描写が入るし、(本当はそんなことを思っていない)両親や、一般社会からの圧力(あるいはプレイヤーの選択)に負けたというか、狂いきれなかったというか、そんな印象を抱く。しかし、まあ、社会的にみて、一番幸せなのは明らかにこのルートですよね。僕は主観的な幸福にしか興味がないので、どうでもいいけれど。

 あと、金田もこのルートでも満たされていて、きっと彼が満たされていない(それが描写されている)ルートって輪ルートだけですよね。だから、彼は音楽を手段として、家族や仲間、矜恃というものが欲しかったのだと思う。ここが馨や三日月とは違うところだ。だから、彼は澄・三日月ルートでも、バンドを続けているが、音楽を続けるかと言えば、そうではないのだろう。澄ルートの馨のようなことは出来ないのだ。

 絶対的な美に対する答えは、一般人にはうかがい知れないけれど、皆が楽しく歌い、楽しく聞くのであれば、それでいいじゃないか、というものなのだろうか。

 

・共通ルート(残り)の感想

 専業バンドとしての生活。馨は明確な目的がないままに、今を回すために翻弄する。彼はそういうのが得意な人間なのだと思う。僕の真逆だ。取り立てて目的がなくても勉強を延々と出来るというところがその証左だろう。今を必死で生きられる。だから、輪がヒロイン勢の中では相性いいような気もするのだけれど。終わりのない労苦を、しかし、楽しいから繰り返していく。

 

・輪ルートの感想

 ここで、今だけを見つめる選択肢を選ぶと、ここに入る。後のルートまでいけば子煩悩になる金田が、そんなのは想像できないといい、事実、このルート中にはそうならないのがいいですよね。本当に個人的な意見になるのだけれど、この作品では、明確に分岐とわかる選択肢というより、ほんのりと違うルートに入ってしまう。ちょっとした選択の違いだけで、大量な偶然が入り込み、結果が大きく異なる。バタフライ効果みたいだ。でも、これって本当に現実的で面白いなって思うんですよ。僕も色々、人生に対する分岐点みたいなものはあったけれど、思い返すと怖くなるぐらい、偶然に彩られているんですよね。そういう人生観が透けて見える。閑話休題

 ただ、今が楽しければいいという輪と、その末路である朝川が提示されて、それでもそれを選ぶのかという話と僕は捉えた。まあ、僕は三日月死生観であって、無縁仏とか本当にどうでもいいのだけれど、朝川さんには堪えているように思える。僕はね、彼は結局、名声とか家族とか、そういうものが欲しかったんだと思う。音楽の才能に恵まれていたが、結局、普通のものが欲しかったんだ。だって、澄ルートの馨がこんな末路になったとして、家族に会いたいと思うと思いますか? 朝川は音楽に、絶対的な美に、取り憑かれていない。あるいは、その魔法が解けてしまった。そう思った。だから、あのエンディングでいいんでしょう。家族も来たしね。まあ、知覚する前に死んだから、主観的には何の意味もないけれど。このルートだけ、本当に今の話だけが描かれていて、未来について、あるいは過去の問題の解決について、何も触れられてない。それも、この今さえ良ければいいということを示しているようで好きだ。僕とどっちかっていうと、今だけが問題だという考えなので、このルートは皆、満ちているように思えた。

 絶対的な美に対する答えは、そんなものはないけれど、楽しければいいよね、ということになるのだろうか。これも、考え方としてはとても好きなんだけれど、この作品の本質的な部分から一歩引いている気はする。でも、結論を見ると、三日月ルートと大差はないのかな。うーん、読み込みが絶対に足りていない気しかしない……

 

・三日月ルートの感想

 お前は俺か?(死語) 三日月の死生観、とても好きというか、自分とほぼ完全に一致していて、よくぞ言ってくれたという気持ちで、妙な感情のかぶせ方をしてしまった。なんで、みんなの感想は、ここに言及していないんだ。確かに当たり前だよ。特筆すべきことじゃないし、小学生だって知っている。でも、三日月が言ってくれた(というか瀬戸口作品では常々主張されるけれど)ように、皆、それを見ないことにしている。それに怒ってくれたんだ! 好きにならないのが無理な話では? まあ、僕は人類が皆死んでじまうのがおかしいというか、残念というか、そのせいで何もやる気になれないよね、っていう虚無感がメインの問題ではあるのだけれど。このルートでは、馨も言っているように、恐ろしいほどとんとん拍子に話が進んでく。それがリアルだと思ったんですよね。逆の感想を抱く人もいるみたいですけれど。つまり、現実ってそんなもんじゃないですか。物語ではないので、理由が明確ではない。伏線は放置され、唐突な展開で大きく変わってしまう。それがはっきりとしていたように思える。だって、馨はほとんど他のバンドマンルートとあまり変わらなくて、色々と他人に助けてもらったりしているだけで。ただ、まだ、僕はこのルートを完璧に理解しているとは思えなくて、何故かと言えば、三日月の感情の流れを追い切れていないんですよね。あと、エンターテイメント的に言えば、確かにこのルートは荒いけれど、元々そういう作品ではない、そこが主題ではないという気がする。でも、確かに僕はこのルートが一番読み込めていないと思う。単純に長いから、という理由もあるかもしれない。

 音楽の神様、つまり、絶対的な美には、到達していない、というか、そういうものを問題としないと結論付けたように思える。どうであろうと、必要だから、それを求めるのだ、というものだ。だから、老女は泣くが、それは純粋な音楽の力ではない。結局、そこには辿り着かなかった。あるいは、そんなものは元から存在しないのだ。聞き手がいる以上、そこに物語は生まれてしまう。だから、それも含めて純粋な音楽と呼ばなければならない。そう、だから、最初に言った意味での絶対的な美は存在しない。存在しないのだけれど、二人には音楽が必要で、そこに戻ってしまう。それでいい、というエンドだったかな、と。

 

・澄ルートの感想

 三日月ルートの裏。ちょっとした掛け違いで、馨の人生は大きく変わってしまう。三日月という才能がなく、しかし、音楽に魅入られた凡人の末路だ。しかし、あらゆるものを無くしたが故に、彼は他のルートの比ではないほど、音楽にその身を捧げることができてしまう。しまうんだ。澄が死んでしまうこと自体は、別にショッキングな展開でも、瀬戸口節でもないと思うんだよな。ありきたりだし。でも、そのことによって、彼は本当に覚悟が出来てしまう。呪縛がかかってしまうんだ。この感じが特別に好きだな。ここの描写もとても素晴らしい。というか、瀬戸口は本当に物事が全て悪くなった時の、しかし、世界は素晴らしいままである時の描写があまりにも素晴らしい。きっと、彼の根幹に位置するものなのだと思う。ここに僕は瀬戸口節を感じるのだけれど、どうなのだろうか。

 あと、子供についての言及もある。一応、馨は子供を孕ませたという冤罪のせいで退学になっていて、今作の全てがその原因になっている。それについて、最もエンディングと絡んでいるのがこのルートとも言えるだろう。音楽について探求し続けているのも、このルートだ。僕は、瀬戸口が自然に書くと、このエンディングに辿り着くのではないかと思ってしまう。それが自然だとも。文章のキレも素晴らしく、無理がないように感じる。

 このルートでは、一番、楽さを捨てて、純粋に美に殉じようとしている。澄といるのは心地良いのに、そこに落ち着かなかったのがそれだ。しかし、それもいいかもと、仙人のような現状を捨て、俗世に戻ろうとしたらアレだ。つまりね、結局のところ、普通の人生だって、そうなるかもしれないものなんだ。ある意味で救いがあるとは思わないか? 馨は音楽に魅入られていて、それに捧げることが出来る。悲しみすらも、音楽の糧に出来る。でもさ、例えば弥子ルートの未来のような状態で、その子供のためにと嫌々ながら、医者になったとして、最終的に弥子とその子が死んだとしたら? 馨は何のために生きていたんだ? そういうのが本当のバッドエンドであって、しかし、現実的に一番起こりえる話だから、たちが悪い。あ、こういう視点でのまとめもちゃんとしないとな。つまり、三日月死生観における各ルートの感想というか。まあ、やっぱり、リプレイと感想のリライトは必須なのだろう。

 音楽の神様、つまり、絶対的な美は、存在すると思って追い続けていくのだろう。それはある意味、唯一、是清の問いと戦い続ける選択肢であって。その静謐な覚悟の素晴らしさに、僕はこの作品で一番の煌めきを感じた。

 

・全体の感想

 まとめてみると、読み込みが足りないの、はっきりするなぁ。最も、僕はそれほど読み込みや解析が出来る人間ではないのだけれど……細部に目が行かないので。

 全体的に、今作はやっぱり、エンターテイメント作品ではないんですよ。まあ、瀬戸口作品は(特に彼だけが純粋に関わっているほど)そうなってしまう。だから、脈絡がないと思ってしまうのかもしれてない。物語的な必然性が足りないとも。僕もエンターテイメント作品として読んでいるのなら、そう思うのだけれど。でも、これは表現の作品なので。テーマを表現するためのものは、脈絡もなく登場してしまうよ、どうしようもなく。

 花井是清、めちゃくちゃ好きだけれど、たぶん、みんなほどは好きではない。澄ルートの馨や、三日月ルートの三日月の方が好き。ということもあるのか、馨の想像上に出てきた是清はあくまで、彼が都合良く解釈した是清だとしか思っていない。まあ、これは霊的なものを一切信じていない人間の解釈だからというのもあるけれど。ただ、瀬戸口もそっちなんじゃないかなって気はするけれど。

 あと、たびたび、何者にもなっていない=成功していないみたいな話が出てきて、そういうのが瀬戸口にもあるんだな、と思った。うーん、この何者でもないって感覚、感情的に理解しがたいんだよなぁ。たぶん、僕の妄言が、その絶対的な死が全てを塗りつぶす絶望だって言葉が、ほとんどの人に実感出来ないように。

 というか、この作品の価値は9割方、瀬戸口にあるのだから、利益の9割を彼に与えるべき。いや、そうすると彼は絶対に作品を書かなくなると思うので、与えるな。でも、死んでもらわれても困るし、創作に集中して欲しいので、適切な管理をしつつ、延々と給金をしてくれ。