災厄だけが凡庸な生活を破壊するんだなって

 お前もうしかしてまだ死なないとでも思ってるんじゃないかね? と文句を言っていたら、テレワークが実装されて、家から一歩も出ずに仕事ができるようになった。嬉しいような、泣きたいような、でもやっぱり、クソ楽でしたという話。

 

 テレワークになったとは言え、やってることが本当に変わらない。仕事中は、それがさぼり中である時でさえも、PCを触っているというのが全てであって、それが物理的短距離で行われているか、インターネットを介して行われているかの差しかない。ただ、そこに明確で確固たる差があって、それは一人であるということと、自由であるということだ。

 まず、一人であるということ。別に家の中に一人というわけではないのだが、会社の人とかいう部外者が画面越しにしか存在しないというのは本当に大きい。「ブレードランナー2049」を観ながら仕事をしていても文句を言う人はどこにもいないし、独り言いい放題で、「DORCHADAS」を元気に歌っていようが、誰も聞いている人はいない。最高か? 完全なるストレスフリーの空間がそこにはあった。

 次に、自由であるということ。何を飲んでも食ってもいいし、音楽も選びたい放題で、ゲームをオートで回しながらできる。そして何より、自由であるからこそ、自ら選んで、生活費のために仕事をしているのだという姿勢になるのがとても大きな差異なのだ。例えば、僕は授業が大嫌いで、いつも寝ていたし、寝ていなくても本を読んでいたし、本を読んでいなくてもネタを考えていた。いたのだが、勉強が嫌いというわけではなかった。他に好きなことが山のようにあったし、飽きっぽいから勉強に集中するなんてことはなかったのだけれど、必要に迫られ、その必要性を自ら認識し、それを選んでいれば、別に苦ではない。自習やテストは得意なのだ。そうやって、学生の日々を乗り越えてきたのだけれど、テレワークのそれもかなり近い。本当は、職場にいる以上にさぼることができるのだけれど、だからこそ、自ら仕事をしてやるか、しょうがねえなという気持ちで向き合えるため、ストレスは少ないし、仕事もはかどる。普通に3日分ぐらいの仕事を終えられた。

 

 もうとにかく最高で通勤の上位互換だったので、これからどんどん在宅勤務、推していこうな。というか、マジでこれ味わってしまうと、もう通勤するような職がやりたくないと思ってしまう。どんなに転職するの大変でも、在宅前提の職が絶対に良い。本当に。どんなに人が頑張っても導入できなかったことを、必要に変えてしまう災厄はとても強い。これでようやく、一般社会が変わるのだ。大丈夫。お前らのいう日常っていうのはめちゃくちゃしぶといから、たとえマッドマックスみたいな世界になってもお前の隣に存在しているだろうさ。だから、僕は常に災厄を祈ろう。この、クソみたいな世界をぶっ壊してもらうために。