根幹的矛盾物質

 季節感がなくなっていく。

 気付いたら梅雨はまだ終わっていなかった。雨が降りやめば、夏が来るだろう。年々、実感がわかなくなっていく。妻が、ゲーム上での七夕イベントをやっていて、現実世界でも七夕が来た、ということに結びつくのに時間がかかったと言っていた。それを聞かされて、僕はようやく現実に七夕が今日であって、夏が訪れていることに気付いた。ゲーム上で散々、カブトムシやクワガタムシを捕まえていたというのに。

 冷暖房が効いた部屋で、年中変わらないことをしているのは、ある意味では健康なのだろう。しかし、それは本当に正しいことなのだろうか。僕はいつもよくわからなくなる。

 人間は、高い圧力のある自然環境から逃れた。知性も持ち、常時快適な世界で生きて居られる。少なくとも、現代日本では。しかし、この肉体は急速に発達していく文明や科学について行っていない。矛盾しているようだが、そのストレスが非常に高い環境にこそ、最適化しているのだ。

 理論的に考えれば、そして、本能もまた、ストレスの少ない環境を望む。しかし、肉体や精神は高ストレスに対応しているので、あまりにも平坦な環境では、逆に不健康になってしまう。快適な場所を望みつつ、それでようやく、ストレスが多少は軽減するような、そんなところを想定したつくりになっている。

 何が正解なのだろう。どこに合わせるのが正解なのか。人間と言うのは、多くの要素で構成されていて、その全てが矛盾なく肯定するような位置はおそらくないだろう。ならば、どれを優先するのが正解なのか。おそらく、答えはない。決めるしかない。ここが正しいと思える場所を。